大判例

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名古屋高等裁判所 昭和57年(ネ)687号 判決 1990年2月20日

主文

一  原判決中、控訴人・附帯被控訴人ら及び被控訴人・附帯控訴人らとに関する部分中、控訴人・附帯被控訴人敗訴部分をいずれも取消す。

二  被控訴人ら及び被控訴人・附帯控訴人らの請求をいずれも棄却する。

三  被控訴人・附帯控訴人らの各附帯控訴を棄却する。

四  被控訴人ら及び被控訴人・附帯控訴人らは、控訴人・附帯被控訴人に対して、それぞれ別紙請求金目録オ欄記載の金員及びこれに対する昭和五七年一二月一一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  訴訟費用(附帯控訴費用は除く)は第一、第二とも被控訴人ら及び被控訴人・附帯控訴人らの負担とする。

昭和六三年(ネ)第六六三号事件の附帯控訴費用は同事件附帯控訴人の負担とし、同五九年(ネ)第二六六号事件の附帯控訴費用は同事件附帯控訴人らの負担とする。

六  この判決の第四項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人・附帯被控訴人(以下単に「控訴人」という。)

主文同旨の判決並びに仮執行宣言

二  被控訴人ら(三、四の者を除く。)

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴人の請求(仮執行済金額の返還請求)を棄却する。

3  控訴費用は控訴人の負担とする。

三  被控訴人・昭和五九年(ネ)第二六六号事件附帯控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴人の請求(仮執行金額の返還請求)を棄却する。

3  原判決中、控訴人と被控訴人・同事件附帯控訴人らに関する部分中、被控訴人・同事件附帯控訴人ら敗訴部分を取消す。

控訴人は、被控訴人・同事件附帯控訴人らに対して、それぞれ別紙請求金目録ア欄記載の金員及びこれに対する昭和五一年九月一二日から右支払済みまで年五分の割合による金員、並びに同目録エ欄記載の金員に対する昭和五一年九月一二日から昭和五七年一二月一〇日まで年五分の割合による金員を支払え。

4  控訴費用、附帯控訴費用は控訴人の負担とする。

5  第3項の金員支払につき仮執行宣言

四  被控訴人・昭和六三年(ネ)第六六三号事件附帯控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴人の請求(仮執行金額の返還請求)を棄却する。

3  原判決中、控訴人と被控訴人・同事件附帯控訴人に関する部分を次のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人・同事件附帯控訴人に対して金二二〇万円及びこれに対する昭和五一年九月一二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  控訴費用、附帯控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の関係は、次のとおり当審における主張及び証拠の関係を付加し、原判決のE-14丁裏一行目の「没し」とあるのを「没したこと、これらの事実が」と、I-2丁裏五行目の「明治元年」とあるのを「明治九年」と、J-9丁裏三行目の「一万メートル」とあるのを「一万立方メートル」とそれぞれ訂正し、L-3丁裏六行目の「遊水池地」の「地」を削除する他は、原判決事実摘示のとおりであるからここにこれを引用する。

(被控訴人ら及び被控訴人・附帯控訴人ら(以下単に「被控訴人ら」という。)の主張)

一  瑕疵の推定についての主張の補充

整備された堤防が設計外力たる計画高水流量、計画高水位以下の洪水によって破堤したときは、その事実から当該堤防が通常有すべき安全性を欠き、堤防の設置管理に瑕疵があったものと推定すべきである。このことは、堤防は、計画高水流量及びこれに基づいて定められた計画高水位を設計外力として、洪水の防御、整備が図られていること、堤防が整備されたということは、その堤防については、設計外力に対する防御がなしうるとの河川管理者の判断を示していること、整備された堤防については、国民が防御対象とされた計画高水流量以下の洪水に対しては安全であると考えるのは社会通念であること、計画高水流量、計画高水位以下の洪水によって、溢水なくして破堤するということは、きわめて稀な事例であることなどにより十分に肯認されるところである。

ところで、計画高水流量およびこれに基づいて定められた計画高水位を設計外力として整備された堤防は通常洪水の浸透作用に対しても安全なように築堤されており、本件堤防も同様で、本件洪水程度に高い水位が継続した場合もその浸透作用に対して安全なように設計されていたものである。

すなわち、建設省河川砂防技術基準(案)や河川管理施設構造令によれば、堤防の横断形は計画高水流量と計画高水位から予め定めてある基準に従い決定されるようになっているところ、河川工学、土質工学の知見によれば、計画横断形のもとで内田茂男の式(本判決添付別紙計算式集の式4)及びストロールの式(前同式5)によれば、圧倒的大部分の河川堤防材料が属する領域の中で、最も浸透し易い粒度曲線の土においてさえ計画高水位の水位が内田の式による場合は約四日間、ストロールの式による場合は約七日間続いて初めて浸潤線が裏法尻に達する計算結果となり、本件堤防については、内田茂男の式による場合は約二七日間、ストロールの式による場合は約五二日となるのである。

また、建設省報告書の浸透能ファクターによる検討の結果によると、本件堤防においては、計画高水流量、計画高水位程度の洪水が八七時間継続した場合にも浸潤線の先端は堤防の幅の三分の一程度に過ぎない約一九メートル先まで進むにすぎないし、浸透流解析によっても、河川水の堤体への浸透及び堤体上への降雨によっては破堤しないこととなっているのである。

なお、建設省報告書によれば本件洪水の浸透作用の再現期間は洪水継続時間につき一三八一年、浸透能ファクターで四七四年、浸潤域ファクターで三〇二年であるというが、このような稀な洪水によっても前記のとおり浸潤線の先端は堤体の三分の一程度にしか到達しないのであり、一方基本高水の越流の再現期間は一〇〇年程度である。堤防の浸透作用に対する安全度はそれほど高いものなのである。

以上のとおり、本件堤防を含め、堤防は浸透作用に対して安全なように造られているのである。また降雨による浸透の結果生ずるすべりはせいぜい二ないし三メートルと浅く破堤をもたらすものではなく、堤防は降雨による浸透には安全に造られているのである。

よって、計画高水流量、計画高水位以下の洪水によって破堤した場合には、当該堤防には設計外力以下の流水の作用に耐えられない欠陥が内在していて、堤防の設置管理に瑕疵があったことを事実上推定することは極めて合理的である。本件の場合は計画高水流量、計画高水位以下の洪水によって破堤したことは明らかであるから、本件破堤箇所の堤防に内在的欠陥が存在しており、通常有すべき安全性を欠くものとして、瑕疵があったものと推定されるべきである。

二  破堤原因(パイピング破堤説)の補充

1  現象面の補充

(一) 本件破堤箇所付近には、原判決事実摘示のほかにもガマが噴出するところが多くあり、昭和三六年一〇月一二日撮影した航空写真には、旧薬師池の北方約一二〇メートルから一八〇メートルの間の水田の堤防法尻道路際に四個、安八町大字大森下沼付近の現新幹線橋梁南側水田に計三個(その内の二個は堤防寄りにある。)、そこから丸池を挟んで森部排水機場までの水田の堤防寄りに九個、同排水機場の南の水田に二個の計一八個のガマ孔が見られる(その内、当審において検証したガマの位置は本判決添付の別紙図表Pのとおりである。以下、本判決において引用した図、表または図表の内、「原判決の」との断り書きがないものは、すべて本判決添付の別紙図表である。)。そして、その内旧丸池付近、旧薬師池付近、本件破堤箇所を含む新幹線橋梁から森部排水機場付近までの間のものは破堤以前から洪水の度毎に噴出するものであって、森部輪中の中でも特に右箇所が地盤に弱点を有していたことを示している。

(二) 裏法面のすべりないし法崩れ

昭和三六年六月、長良川流域に梅雨前線豪雨による洪水が発生したが、この時本件破堤箇所の堤防裏法小段ですべりないし法崩れが発生した。このことは、「この洪水の後七、八月頃、池の北側に天端から下がる道の角あたりが、丸池の裏小段の肩の下あたりから池の方へ約六〇メートルほどずったが、一〇月頃修復した」との聞き取りが国土研究報告書にあるほか、昭和三六年一〇月撮影の航空写真には、同年五月四日撮影の航空写真にはない白い直線状の物体(図表Hの2の<16>部分)が裏小段に見られ、これに沿って少なくとも一七本の杭が打設されていること、白い物体に向って下流側からその上流の端まで鮮明な自動車の轍がついていることからすると、白い物体は土のうであって、自動車を使って裏法面の崩れの補修工事がなされたことが明らかである。また、同写真には丸池法尻部にも同様の白い物体(図表Hの2の<17>部分)が積み上げられている。

これ以外にも、昭和四三年ころに撮影された航空写真を検討すると、丸池東側の裏法面にすべりないしは法崩れが発生したことを示す特徴ある形状が認められる。すなわち、昭和四三年一〇月二八日撮影された航空写真によると、丸池に対応する裏小段付近に、馬蹄形の植生の変化、法面の凹み(図表Hの3の<19>、<20>部分)が認められ、これは裏法の崩れによるものと判断される。

また昭和五〇年九月に撮影された航空写真では、丸池東側の裏法面の小段付近から犬走りにかけて、本件破堤の一次すべりが発生した箇所にほぼ対応する部分の相当な範囲に凹みが認められ、犬走り付近では逆にふくらんでいることが認められる(図表Hの1の<2>部分)。さらにこのような小段のずるような歪みに加え、裏法尻付近には、葦の一部がなぎ倒されたようになくなっていることなど新しい法崩れによるものと認められる土砂の丸池側への流出が数箇所にわたって認められる。そして、裏小段の形状も乱れており、犬走りは消失している。

この点につき、裏小段が下がっていること、その箇所は昭和四三年の航空写真に見られる法崩れと同じ場所であり、変状の形が酷似していると指摘する見解もある。また、同じ写真の判読結果には、丸池東側の裏法面の小段付近から法尻の間に地形的変化が認められ、上部が凹み下部がふくらみ、道が乱されていること、丸池内への土砂の流出が数箇所認められ、そこは堤防が低くなっていて流路を形づくっていると指摘するものもいる。

なお、本件破堤の二、三年前ころ、本件破堤箇所北端部付近の表法尻と畑の境界部付近に陥没が発生し、陥没は本件破堤のころには小段の上にまで拡大した。前記昭和五〇年九月の航空写真に見られる丸池北端部表法面の天端から法尻にかけての裸地(図表Hの1の<4>の部分)は、前記陥没による凹地であり、その上端付近には杭と思われる棒状のものが二本認められる(図表Hの1の<3>部分)。そして、右箇所は、本件破堤の直前亀裂(幅二ないし三メートル、深さ約一・五メートル、洞窟状の陥没で水面下まで達していた。)が認められ応急修理がなされた箇所と一致しており同一のものと考えられる。したがって、右亀裂は本件破堤以前から存在していたところへ天端からの降雨が集中して流れ込み拡大したものと考えられる。以上の事実は、本件破堤箇所の堤体内部ないしは地盤に欠陥が生じていることを示す変状である。

2  パイピング破堤の解析的検討

(一) 膨れ上がりによる堤内表層土の破壊(ガマ)について

土砂中を上向きに流れる水の浸透力がその土砂の自重(水中重量)より大きくなったとき表層土の膨れ上がり破壊が生ずることとなる。限界動水勾配の方法によれば、浸透水の上向き浸透力と土の水中重量との釣合の式は、限界動水勾配をic、水頭差をh、上部粘性土層の厚さをDc、その間隔比をe、土粒子の比重をGsとした場合には、

ic=h/Dc=(Gs-1)/(1+e)

であり、h/Dcがicより大きくなれば膨れ上がり破壊が生ずることとなるから釣合の場合の上部粘性土層の厚さDcを求める。

(1) 水頭差hについて

堤体幅を六〇メートル、下部透水性層の厚さを八メートル、その透水係数を6×10のマイナス4乗m/sec、上部粘性土層の厚さを四メートル、その透水係数を1×10のマイナス8乗m/sec、河川水位一〇メートル、堤内側水位四・二メートル、両水位差五・八メートルの条件で堤体裏法尻部の水頭差hの値を算定すると、堤内側五〇メートルでhが〇となるとした場合には、二・六四メートル(堤外側に上部粘性土層(難透水性)がないとした場合)、一・一二メートル(堤外側に上部粘性土層(難透水性)が一五〇メートルあるとした場合)、堤内側一五〇メートルでhが〇となるとした場合には、四・二三メートル(堤外側に上部粘性土層(難透水性)がないとした場合)、二・四〇メートル(堤外側に上部粘性土層(難透水性)が一五〇メートルあるとした場合)となる。

これらからすると堤体裏法尻部分の水頭差は河川水位と堤内側水位の差の二〇ないし七〇パーセント程度である。してみれば本件堤防の表小段付近(旧堤天端付近に該当)まで河川水位が上昇したときの河川の水位と堤内水位の差は五メートル程度であるから堤体裏法尻部分の水頭差hは一ないし三・五メートル程度となる。なお、堤体下の基礎地盤の難透水性層に不連続がある場合と連続している場合とで水頭差hに大きな差はない。

(2) 限界動水勾配icについて

破堤箇所法尻の地盤粘性土(難透水性層)の間隔比eは一・三三ないし二・三七であるから、土粒子の比重Gsを二・六八とすると限界動水勾配iCは〇・五ないし〇・七二となる。

(3) 上部粘性土層の厚さDcについて

以上の水頭差h、限界動水勾配icにより上部粘性土層の厚さDcを算出すると一・三九メートルないし七メートルとなり、上部粘性土層の厚さDcが右値以下であれば、表層土の膨れ上がりが生ずることとなる。

(4) 本件破堤箇所で膨れ上がりが生ずる可能性の有無

丸池を除く本件破堤箇所付近の堤内側上部粘性土層の厚さDcは約四・七メートルであり、丸池部分のそれは約二ないし四メートルの範囲にあり、いずれも膨れ上がりが生じ得る厚さであり、丸池部分は周辺に比べ上部粘性土層の厚さDcがより薄いから、より膨れ上がりが生じやすいといえる。しかも、丸池底は、堤防決壊により上部粘性土が洗掘、流出して形成された池に泥が堆積してできたもので、上部粘性土層が無いかあるいは薄かったし、さらに底に堆積した泥は比重がないかあるいは小さいため間隔比eは大きく、その結果限界動水勾配icがもっとも小さく、膨れ上がりを最も起こし易い条件を備えていた。

(二) パイピングの可能性

浸透水のパイピング孔出口付近の流速は限界流速を越えている。

(1) 土中の水は、場所毎に全水頭値が異なるとき、全水頭値の高い所から低い所へと流れ、全水頭値の等しい点を結んだ線を等水頭線(等ポテンシャル線)という。水の流れていく経路流線は、鉛直方向と水平方向の透水係数が等しい等方性地盤では定常時には等水頭線と直交する。相隣接する二つの流線と二つの等水頭線で囲まれた四辺形をほぼ正方形にするように流線と等水頭線を描いたものを流線網といい、流線網は次の性質を有する。流線の間隔をb、等水頭線の間隔をa、等水頭線の水頭差をh、透水係数をkとすれば、流線網の透水量qは、ダルシーの法則から

q=khb/a

となる。ところで等方性地盤では定常時にはa=bであるからq=khとなる。このことから、qは各流路(隣り合った流線で挟まれた部分)で一定となり、流線の幅が狭くなれば、等水頭線の間隔も狭くなるので、これに反比例して動水勾配は大きくなり、ダルシーの法則により浸透水の流速は速くなる。浸透水がガマ孔に集中することは流線がガマ孔に集中し間隔が狭くなること、その地点での動水勾配が上流側(川側)より流速が速いこととなる。

(2) 本件のガマ孔での流速

ガマを通る水の流速は別紙計算式集の式3によって求めることができる。丸池を中心とする堤長一〇〇〇メートルの区間には二三個のガマが記録されており、平均間隔は約四〇メートルで、ガマの直径はおおよそ〇・三メートルである。河川水位と堤防内水位の差を五・八メートル、堤体幅を六〇メートル、上部粘性土層(難透水性)の厚さを四メートル、透水性層の透水係数を6×10のマイナス4乗m/sec、厚さを八メートルとすると、一個のガマ孔(もっとも控え目な条件としてガマに透水性層と同程度に砂が詰まっているものとする。)を通過する水の流速は、〇・〇八cm/secから六三・七cm/secである。

まず、堤内側の上部粘性土層の長さが無限である場合を算定すると最小で〇・一七cm/secとなる。これはガマの間隔が小さい場合や堤外側に一五〇メートルの上部粘性土層があったとしてもほとんど同じである。また、ガマ孔が透水性層に一五センチメートルしか貫入していないという控え目な条件下でも〇・一六cm/sec程度でありほとんど変らない。

次に、堤内側上部粘性土層の長さが五〇メートルのときは〇・〇八cm/sec、一五〇メートルのときは〇・一二cm/secとなり、その長さが無限大のときの約五〇ないし七〇パーセントに低下するので、もっとも控え目に見積もった最小流速は〇・〇八ないし〇・一七cm/secと考えられる。

なお、ガマ孔が空洞の場合はその流れは乱流となり、流速は一・四ないし六三・七cm/secとなる。

ところで、本件破堤箇所の地盤内の透水性の砂層の土は粒径〇・五ミリメートル以下の土粒子が四〇ないし一〇〇パーセントを占めている。そして、久保田、田中の実験値によると粒径〇・二五ないし〇・五ミリメートルの土粒子で構成される土の限界流速は〇・〇四cm/secとされている。

以上によればガマ出口での流速(鉛直ガマ孔内の流速も同一である)は土を移動させるに十分である。

浸透水の流れの方向は流線に沿うものであり、河川から透水性地盤を水平に浸透してきた水ガマ孔に集中する。その半面、浸透水により土粒子が流されて流失すると、鉛直なガマ孔の下端から流線にそって鉛直から次第に水平な形に孔(パイピング孔)が形成される。パイピング孔の先端部から鉛直部出口までの水の流れは連続の関係からほぼ同じ流速である。従って、パイピング孔の先端部も土粒子を移動させるに十分な流速、動水勾配であり、パイピング孔は更に進行して行く。

(三) アーチ作用でパイピング孔は崩れないこと

(1) 砂層にパイピング孔が形成されたとき、砂層やその上部にある粘性土層等にアーチ作用が働き、孔の上部の加重を支えて孔の天上部を形成し得るだけの作用があれば、孔は崩れることなく維持される。アーチ作用はパイピングの土被りが大きいほど、またパイピング孔を履っている土等が粘着力を有し粒子間の結合力があるときにより強くなる。

(2) 本件破堤箇所の透水性地盤の砂質土の粒土試験結果によれば、一般に粘着力を有するシルト分及び粘土分を一〇ないし六五パーセント含んでいるから、かなりの粘着力(圧密排水三軸圧縮試験(CD試験)によれば〇・二kg/平方センチメートルである。)があり、アーチ作用が働いてパイピング孔の天上部を崩さずに維持することができる。

(3) 側面せん断抵抗の作用(アーチ作用と実質的に同じ作用)による安定したパイピング孔の径とその深さは、以下の考え方により定量的に検討できる。すなわち、深さDpのところに横方向にパイピング孔があるとき、その上方の地点(地表からDの地点)との間に、パイピング孔の両側面の鉛直上向き延長線を側面とし、D点を上面、パイピング孔の上端を下面とした領域を仮定し、この領域の各側面に働く全垂直せん断抵抗が、この領域の土の重さに等しければ、パイピング孔は崩れず安定して存在し得る。しかも、このときD点までの部分ではせん断応力が生じないからせん断変形も生じず地表面は陥没しない。本件においては、地盤砂質土の粘着力C’を堤体土の粘着力C’〇・三t/平方メートルとして検討すると、最大孔径一〇センチメートルのパイピング孔は地表下二・二三メートルのところでも維持される。そして一般に同じ非せん断領域に対しその孔の径が小さければパイピング孔は浅いところに存在し得るし、またその径bに対する非せん断領域とせん断領域での安定深さaとの合計の深さのところにあれば維持される。

(4) 本件破堤箇所は、透水性地盤の砂層の上に、難透水性の旧堤及び粘性土層があり、標準貫入試験によるN値は五ないし一〇であり中ないし硬の硬さを示しており、単位体積重量測定の結果では間隔比が小さくて密度が大きく、圧密されており硬いことを示している。また旧堤下の粘性土の一軸圧縮強度は〇・九四ないし一・四八kg/平方センチメートルで硬さは硬いを示している。以上のように、本件破堤箇所の旧堤及びその下の粘性土は硬く、パイピング孔の強い天上部となり得る(ルーフィング作用という。)

(四) パイピング孔は進行すること

(1) 動水勾配は、水頭差を浸透経路の長さで除したものであり、これに比例して浸透力や流速が変化する。パイピング孔が形成され進行すると浸透経路が短くなり、孔の先端の浸透水はその動水勾配が大きくなり、浸透力が大きくなって流速も速くなり、土粒子が更に動かされやすくなる。

また、パイピング孔が進行するにつれ、平面的にもその先端部における浸透水の流線の数が増え、その間隔が狭くなり動水勾配が大きくなって流速が速くなる。パイプ(パイピング孔)の貫入率を三〇、六五、七四パーセントと変化させたとき、流量は貫入率を〇とした場合に比して一・一四倍、二・〇倍、二・三倍にそれぞれ変化する。これはパイピング孔が進行するほど加速度的に浸透水の流量、動水勾配が増大するということであり、浸透水の浸食作用も加速度的に増大しパイピングは一層進行していく。

(2) 進行したパイピングは洪水が終ってもアーチ作用により維持され、その後洪水が発生して更に進行するということを繰返して次第にその孔を河川側へと進行させていく。

(五) パイピング孔が崩れた場合の地表部の変状

パイピング孔が崩れた場合の変状は、孔が地表から深いところにあるときは、孔の部分を中心とする孔の横断方向(堤防の縦断方向)の皿状の陥没(沈下)である。その理由はパイピング孔の上部の土がすべって孔が崩れるとき、孔上部のすべり面は孔に鉛直ではなく、孔から末広がりに広がった角度で生じ、それにより地表部は皿状に沈下するからである。

そして、パイピングによる孔の発達は、一個の孔が発達する場合のみならず、数個の孔が発達する場合や、一個の孔が数個ないしは多数の孔となって発達する場合、数個ないし多数の孔が網状に発達する場合等多様な形態をとる。後三者の場合、孔が崩れることによる地表部の変状は孔を横断する方向ではより広い範囲となり、発生する亀裂沈下等の長さは比較的長いものとなる。

(六) パイピング破堤の可能性

パイピングの発達により、パイピング孔は河川側に進行し、また孔の径が大きくなるが、その孔の大きさがアーチ作用により維持できる限界を超えると孔が崩れ、その上の土が落下陥没し、同部分の強度は低下する。パイピングの進行の長さ(強度低下域の長さ)と強度低下の度合いの組合せにより算定した安全率の変化は図表Oの1の堤体のもとでは図表Oの2のとおりであり、その内のいくつかの組合せについて最小安全率を与える危険な円弧は図表Oの3のとおりである。右各図表によると、孔崩壊時にパイピングが進行していた度合sが大きければ大きいほど強度低下nの割合が小さくても安全率が一を割るという関係にあることが明らかである。すなわち、本件においてパイピング孔が裏法尻付近直下に進行した程度の時に孔が崩れた場合は、その強度が孔の崩壊前に較べて九〇パーセント減少しないと堤体の安全率は一以下とならないのに対して、裏小段近くの直下にまで進行して孔が崩れると、その強度が崩壊前に較べて五〇パーセント減少しただけで安全率が一以下となる(図表Oの2)。

本件破堤は裏小段から下の堤体がすべりを起こしたものである。前記図表Oの3によれば、パイピング孔が裏小段直下まで進行すると、破堤時のすべり線は、裏小段付近を通ることとなる。そしてこの場合強度低下の程度は孔の崩壊前に対して〇・五程度の比較的小さなものである。従って、本件破堤はパイピング孔が裏小段まで進行して堤体の陥没が誘発されたときに発生したものであるということができる。

(七) 丸池の埋め戻しとパイピング破堤の防止

丸池を本件洪水時の内水位(四・二メートル)まで埋め戻した場合、丸池部分で表土層の厚さが八ないし九メートル程度となるので鉛直上向き動水勾配は〇・三三から〇・三八程度となって、限界動水勾配〇・七より小さくなり、膨れ上がり破壊が生じなくなる。

このように丸池を埋め戻した場合パイピングが発生しなくなるが、念の為、パイピング孔が進行して丸池底から堤防裏法尻近くまで進行して孔が崩壊し土の強度が崩壊前に較べて〇・〇五まで低下したと仮定すると(このような場合は実際には生じ得ない極めて悪い状態である。)、図表Oの4のとおり、丸池を放置していた場合には最小安全率は〇・五であるが、本件洪水時の内水位まで埋め戻した場合には右最危険円弧の安全率は一八・二と改善され、堤体全体の最小安全率は一・三七となる。以上から、丸池の埋め戻しはパイピング破堤の防止に効果的であることが明らかである。

3  本件パイピングは予見可能であった。

地盤パイピングの危険性は、本件破堤の二〇年近く前から指摘されていた。

(一) 山村和也「築堤地盤の漏水対策について」昭和三五年発表

(二) 西畑勇夫「河川災害とその対策」昭和三一年八月開催の土木学会夏期講習会のテキスト

(三) 社団法人土木学会関西支部、同土質工学会関西支部「河川堤防のための土質工学」昭和三六年三月発行、社団法人土木学会関西支部昭和三五年度講習会の講演収録分であり、その第八章において土木研究所機械施工部長福岡正巳の報告

(四) 北野和夫外六名「河川堤防の地盤漏水とその対策について」昭和四一年七月発行

(五) 中部地建木曽川下流工事事務所「長良川下流部沿岸地盤漏水対策について」昭和四五年発表

(六) 山村和也、久楽勝行「堤防の地盤漏水に関する研究」昭和四七年発表

(七) 山村和也「水の浸透とその対策(その三)建設省土木研究所監修土木飼料昭和四七年四月号

(八) 土木学会編「新版土木工学ハンドブック」下巻、昭和四九年一一月

以上のとおり、堤防の地盤漏水については古くから研究がなされており、特に昭和三五年に山村和也の「築堤地盤の漏水対策について」が発表されて以降は、長良川、矢作川の中下流部における地盤漏水について極めて具体的に研究が進められ、昭和四七年ころまでにはガマ発生のメカニズム、噴砂の実態、パイピングが進行拡大すること及びその実例、堤体に及ぼす危険と破堤の招来等がすでに詳しく調査、解明されているのである。そしてその対策の各種方法についても詳細な研究がなされ、昭和四一年には実際にそのいくつかの工法を矢作川で施工して実験的に研究されている。またこれらの研究者の多くは建設省職員であり、地盤漏水に関する研究は、建設省が我が国の土木学会をリードしてきた状況にある。

4  本件破堤はパイピングによるものであり、これを防止するためには丸池の埋め戻し、堤外側に鋼矢板を打つ等の透水経路遮断対策等の局所的な対応をすれば足りたものであり、一般的な河川改修計画に基づく改修事業に伴う財政的、技術的、時間的、社会的制約はまったく問題とならない。

なお、本件は後記大東水害訴訟最高裁判決の瑕疵判断の基準にあてはめれば、「早期の改修工事を施工しなければならないという特段の事由が存在していた場合」に該当するものであり、控訴人には本件堤防の管理の瑕疵があった。

三  浸潤破堤説に対する被控訴人らの反論

控訴人は、安定解析の結果、本件破堤が浸潤破堤であることが裏付けられたと主張する。しかしながら、控訴人の安定解析には、次のような誤りがあり、正しい安定解析を行ったならば、本件においては破堤しない結果となる。

1  透水係数について

控訴人の設定した透水係数2×10のマイナス3乗cm/secは、現場試験、室内試験の値の内の最大値(もっとも、その計算には間違いがあり、正しい計算によれば、右最大値は室内試験結果の最大値の二倍になる。)であり、控訴人の設定した透水係数はかなり高めである。また、控訴人は試験値よりも概略値に重きをおき、本件堤体土の土(砂質ローム)は微細砂に該当するのでそれの概略値によったというが、本件堤体土に微細砂が含まれる割合は一〇パーセント前後にすぎず、微細砂とはいえず、その概略値によることは誤りである。

2  せん断強度定数決定の誤り

(一) せん断強度定数につき、控訴人のデータの整理は不正確である。

すなわち、控訴人は、最小二乗法によらず、かなりの誤差がはいってくることが土質工学上の常識である目視法によっているし、しかも、目視法によるモール円の共通接線を引く場合には、接線より下にあるモール円の数とそれより上にあるモール円の数が大体同じになるように引くのが妥当であるにもかかわらず、控訴人の引きかたは極めて不正確である。

(二) 堤体土についてCD試験は容易に実行でき、データもそろっているのにこれを無視してCU試験の結果の値のみを用いており、不正確な処理である。この処理はCD試験値の粘着力がCU試験値よりかなり高めにでているために意図的に粘着力の値を低くするために無視したものといわざるをえない。

(三) 土質工学の常識では、初期乾燥密度γ゜dに対応して強度定数が決定されるべきところ、控訴人は粘着力を低く決定するため、あえてせん断前密度γ°dに対応させて決定している。

3  計算方法の選択の誤り

事後的安定解析は、算出された安全率が一・〇を割るか否かということから破壊の原因を究明するのであって、できる限りの精確性が要求されるから、安定計算の計算式自体についても精度の高い計算結果の得られるものを選択して、精確性の高い安全率を算出しなければ、意味のある解析とならない。控訴人は安定計算に簡便法(別紙計算式集の式1)を用いたが、簡便法による計算結果は精密解法(一般分割法)による計算結果に比較して約五ないし一五パーセント低い値となるという一般的傾向があり、このことは土質学界や土木工学界では共通の認識である。

また、間隙水圧が大きくなるに従って、あるいはすべり円が深ければ間隙水圧がなくても大きな誤差を生ずることもあるといわれており、事後解析に簡便法を用いることは、計算結果に特有の過小値の算出をもたらし、本来破堤しない場合にも安定解析上は破堤するという結果を生じさせる。よって、事後的解析において簡便法を用いるのは適当ではなく、控訴人が簡便法による安定解析の結果安全率が一以下となったと結論するのは破堤の原因を明らかにしたことにはならない。

4  正しい安定計算の結果

堤体土についての応用地質調査事務所の三軸圧縮試験結果であるCD、CU試験の値から、最小二乗法により粘着力C’、内部摩擦角φ’をそれぞれ求め(図表Kの1参照)、これをプロットした図表Kの3からせん断前密度γ°dに対応させた正しい強度定数を求めると、粘着力C’は〇・三ないし〇・四t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三三度となる。なお、初期乾燥密度γ°dに対応させて、最小二乗法(回帰式は各図表記載のとおりである。)により整理した場合のC’、φ’は、図表Kの4ないし8のとおりであり、各図表の初期乾燥密度γ°d一・三八t/立方メートルにおける各値から、標準誤差nの二分の一を引いて多少粘着力、内部摩擦角を低目に評価しても粘着力C’は〇・三ないし〇・七t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三三度となる。

右強度定数を用いて精密解析(ビショップ法、別紙計算式集の式2)で安定計算すると(透水係数その他の数値は控訴人主張の数値によった。)その安全率は、難透水性層が不連続でかつ堤体上への降雨の影響を考慮した場合でも、図表Lの1ないし11のとおり一・三以上(簡便法によって計算した場合でも一・〇八以上)となり、浸潤によっては破堤しないこととなる。

四  平場の有無について

控訴人は主張の幅の平場が存在したと主張し、その根拠のひとつとして、丸池内の葦が生育している範囲の内側に生えている植物はヒシであり、ヒシの生育限界は水深二メートル以下であるから、当該部分は水深二メートル以下であるとする。

しかしながら、昭和五〇年撮影の航空写真に写っている植物がヒシであるか否かは必ずしも明らかではなく、かりにヒシであるとしても、ヒシの生育水深については一義的に決定することができず、水温、透明度、栄養状態、池底の土質など様々な要因が関係している。現に三ないし四メートルの水深で生育していた例の報告はいくらでもある。更にヒシには分枝という現象があり、一旦葉が水面に到達すると次々に枝別れして放射状に葉を多数浮かせ、群生を拡大する。丸池の近くで採取したヒシの茎の長さは五メートル以上もあり、水深四メートルの地点まで群生域が及んでいた。文献には茎の長さが一九メートルに達したものもあるとの報告例がある。従って、かりにヒシに一定の生育限界があるとしても、浮葉の及んでいる地点の直下の水深が限界水深以下であるとは到底いい得ないのである。

五  当事者の承継関係

別紙承継関係一覧表一、二のとおり、同表承継人欄記載の第一審原告らが死亡し、同表承継人欄記載の者らがそれぞれ権利義務を承継した。右承継に伴い承継人らの請求額は同表記載のとおりとなった。

六  民事訴訟法一九八条二項の申立ての理由に対する答弁

控訴人の主張事実は認める。

(控訴人の主張)

一  河川管理の瑕疵について

国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性の有る状態をいい(最高裁昭和五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁)、かかる瑕疵の存否については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状態等諸般の事情を総合的に考慮して具体的、個別的に判断すべきものである(最高裁昭和五三年七月四日第三小法廷判決・民集三二巻五号八〇九頁)。

ところで、河川の管理については、道路その他の営造物の異なる特質及びそれに基づく諸制約が存するのであって、河川管理の瑕疵の有無の判断に当たっては、右の点を考慮すべきものといわなければならない。すなわち河川の管理には、原判決事実H-4丁裏一二行目からH-7丁裏二行目に摘示のとおり、その特質に由来する財政的、技術的、社会的制約が内在するため、すべての河川について通常予測し、かつ、回避し得るあらゆる水害を未然に防止するに足りる治水施設を完備するには相応の期間を必要とする上、治水施設の整備の現状は当該流域において生起が予測されるすべての作用を防御し得る水準に達していないから、これらの点を考慮すると、未改修河川又は改修の不十分な河川の安全性としては、右諸制約の下で一般に施行されてきた治水事業による河川の改修、整備の過程に対応するいわば過渡的な安全性をもって足りるものとせざるを得ない。

「従って、我が国における治水事業の進展等により、前記のような河川の管理の特質に由来する諸制約が解消した段階においてはともかく、これらの諸制約によって未だ通常予測される災害に対応する安全性を備えるに至っていない現段階においては、当該河川の管理の瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約の下での同種、同規模の河川管理の一般水準及び社会通念に照して、肯認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。そして、既に改修計画が定められ、これに基づいて現に改修中である河川については、右計画が全体として右の見地からみて格別不合理なものと認められないときは、その後の事情の変動により当該河川の未改修部分につき水害の発生の危険性が特に顕著になり、当初の計画の時期を繰上げ、又は工事の順序を変更する等として早期の改修工事を施行しなければならないと認めるべき特段の事情が生じない限り、右部分につき改修が未だ行われていないとの一事をもって河川管理に瑕疵が有るとすることはできない」(最高裁昭和五九年一月二六日第一小法廷判決・民集三八巻二号五三頁、以下「大東水害訴訟最高裁判決」という。)。

ところで、右大東水害訴訟最高裁判決の前段部分は、河川管理瑕疵が問われている部分が未改修である場合のみの判断基準を示したものではなく、我が国の治水事業に未だ河川管理の特質に由来する諸制約が存する現状においての河川全般に関する管理瑕疵の判断基準を示したものである。また、同後段部分は未改修河川の管理瑕疵についての判断であることは明白であるがこれのみに限定したものとは考えられず、右判断において重要な点は

1  改修中河川において定められている改修計画が不合理なものであるか否か、

2  右計画を変更して河川管理瑕疵が問われている部分に早期に改修工事をしなければならない特段の事由があるか、

という二点に集約されるところ、右第2の点は改修中河川における改修済部分につき改修計画を変更し未改修部分の改修に優先して手厚い改修工事を施工しなければならないという適用が考えられる。これに、未改修か改修済みであるかの区別は当面の改修計画に照して計画どおりの工事が完成しているか否かということからする区別にすぎず、河川法における計画規模それ自体が絶対的な安全性を確保するという状況には到底及ばず、計画降雨の年超過率を一級河川の主要区間において一〇〇分の一から二〇〇分の一以下となるように定められている程度で、まして現状においては計画内容と改修事業の現状との間に相当大きな差があるので、実際には当面の整備目標という中間的な目標を設定して段階的な改修事業を実施している現状にあり、未改修か改修済かの区別はさほど重要な意味を有していないことを併せて考慮すると、右判断基準が当該部分が未改修か改修済であるかによって異なるものではない。

よって、本件破堤についても、前記大東水害訴訟最高裁判決の河川管理瑕疵の判断基準がそのまま適用されるべきは当然であり、要するに、右瑕疵の有無は、本件堤防が本件破堤時における同種、同規模の河川管理の一般的水準、社会通念に照して肯認し得る安全性を備えていたと認められるか否かをもって判断されるべきものである。

その際の判断の具体的プロセスとしては、本件破堤当時本件堤防が右の基準に照し要求されていた強度はどの程度のものであったか、換言すれば、右の意味で本件堤防が破堤をみずに安全に流下せしめるべく要求されていた洪水の規模、態様はどのようなものであったかの判断が、まずもって基本となるというべきである。その上で、かかる安全な対応が要求されていた洪水と、現実に破堤を招いた洪水の質的、量的な比較がされなければならない。そして、現実の破堤を招いた洪水が安全な対応を要求されていた洪水を質的、量的に上回るものであったと評価されれば、その破堤につき河川管理責任を問うことはそもそもできない。逆にいえば、現実の破堤を招いた洪水が、安全な対応を要求されていた洪水を下回るものであるときは、初めて、その破堤原因との関係で河川管理者がそのような態様による破堤を諸制約の下で予見し得たものか否か、あるいは客観的に水準に達していなかったという当該堤防の管理が将来の改修計画の存在等に照しなおやむを得ないものであったかが問われるのである。

このような考え方の当然の帰結として、現実の破堤を招いた洪水が安全な対応を要求されていた洪水を質的、量的に上回るものであった場合には、瑕疵責任を追及するについて、厳密な破堤原因を究明することは無意味であり、現実の破堤を防ぎ得た手段の有無を考察することも無意味であり、本件洪水が真に既往最大の洪水であったか否かを論ずることもそれ自体としては重要性をもたない。

以上の諸点に基づき、本件における河川管理の瑕疵の有無を端的に論ずれば、現行の各水系の工事実施基本計画は、我が国の一般的な洪水特性である短期集中型洪水を対象として、これを越流させない堤防高を確保することを基本としており、本件の如き長期間継続する洪水はそもそも防御の対象としておらず(仮に長期間継続する高い水位に対しても安全であるような堤防を設けるとすれば、既存堤防とはその形状、構造及びその基礎の選択において、大幅に異なったものとならざるを得ず、全国一四万キロメートルにおよぶ河川の堤防につきことごとく改築を要するところ、短期集中型洪水に対する整備についてさえ、未だ低い水準にある我が国の治水の実情からみて、このようなことは全く現実的とはいえないのである。また、特定の部分についてのみ整備を優先することは全国的な治水施設の水準の向上が急務となっている現在合理性を欠く。)、本件堤防が本件破堤当時安全な対応を要求されていた洪水は、これをいかに高めに評価しても、長良川の工事実施基本計画に定める基本高水である昭和三四年九月、同三五年八月洪水及びこれに匹敵する昭和三六年六月洪水の三つの洪水、いわゆる昭和三大洪水の規模、態様を上回るものではなかったというべく、他方、本件洪水の規模態様が、右昭和三大洪水のそれを大幅に上回る、ないしは、全く異質、異常な作用を伴うものであったことは明らかであり、従って、本件破堤について河川管理の判断をするに当たっては破堤の真の原因や、回避措置の有無に立入るまでもなく、そもそも河川管理責任が問われる余地はない。

また、前記大東水害訴訟最高裁判決における判断基準に照してみても、本件堤防に関し河川管理の瑕疵はなかった。

本件堤防は、完成度の高い堤防であり、同種同規模の河川管理の一般水準及び社会通念に照して、是認し得る安全性を備えていた。

仮に本件堤防を「未改修部分」とみるにしても、長良川の改修計画及びその実施状況は全体として極めて合理的であったし、本件堤防の管理は十分に行われてきており、当初の改修計画の時期を繰上げ、又は改修工事の順序を変更するなどして、早期の改修工事を施工しなければならないと認めるべき特段の事由はなんら生じていなかったのである。すなわち、本件堤防は、昭和初期の築堤以来約五〇年間の長期にわたり多くの洪水を安全に流下せしめたという実績をもっていたし、特に昭和三大洪水においては連続三回にわたり当時の計画高水流量を上回る洪水を、ことにそのうちの二回は計画高水位を上回る洪水を安全に流下せしめたのである。また本件堤防を含む長良川の堤防に関しては河川巡視、定期の除草、付近住民からの情報収集、出水前後の損傷の点検、維持補修工事の実施等河川管理の通常の原則に従い適正な管理を行ってきたが、このような中でも本件堤防につき水害発生の可能性をいささかでも示すような兆候は本件破堤に至るまでなんら認められなかったのである。

二  パイピング破堤に関する控訴人らの主張に対する反論

1  変状についての反論

(一) 被控訴人らは、昭和三六年一〇月撮影の航空写真から同年六月の洪水による法崩れの修復工事が行われたことが認められるというが、正しく判読すれば杭や土のう等は認められず、そもそも、右箇所においては水防工法も災害復旧工事も行われていない。なお、国土研報告書の記載の箇所と右主張の箇所は位置が異なっており、全く関連がない。

(二) 昭和四三、四四年ころの航空写真によって裏法面にすべりないしは法崩れが見られるとの主張については、指摘の箇所は単に植生状況が変っているというのみで、その下の地盤の状況を表わしているものではない。このことは、植生がほとんどなく、地盤の形状が明らかな昭和四五年三月の航空写真によっても裏付けられる。

(三) 昭和五〇年九月航空写真により種々の変状が見られると主張するが、植生が変った点があるというにすぎず、それ以上のことを判断することは不可能である。

2  パイピング破堤の解析的検討についての反論

(一) ガマの発生に関して

(1) 堤防裏法尻部分の水頭差について検討がなされているにすぎず、被控訴人らがガマが発生したと主張する位置、すなわち堤防天端裏肩から四二メートルの場所の水頭差は検討されていない。

(2) 堤内側の上部粘性土層の長さを無限あるいは一五〇メートル、五〇メートルとしているが、その設定の仕方に根拠がない。

(3) 堤外側の上部粘性土層を無視した算定は、現実と符合せず、意味が無い。

(4) 基礎地盤透水性層の流れを定常で計算しているが、本件の場合は、水位のピークが四波にもわたっており、定常で検討することは妥当ではない。

なお、山口が非定常で検討した結果によれば、図表Mのとおり、堤防裏法尻直下の難透水性層部分の水頭は上部が四・五メートル、下部が六・五メートルで水頭差は二メートル程度であり、同図表から推定すれば、堤防天端裏肩から四二メートルの場所の水頭は上部が四・二メートル、下部が五・二メートルで水頭差は一メートル程度となるにすぎない。

(5) 山口の検討結果によれば、堤体下の基礎地盤の難透水性層が連続している場合の方が、不連続の場合より堤内側の水頭が小さくなっており、ガマが起こりにくいこととなるが、これは実際の現象に合わず計算方法に問題があるといえよう。

(6) なお、山口が水頭差と堤内外水位の差の割合が、実際の観測結果では〇・二程度であったというのは、長良川河口から一五、六キロメートル上流付近の値であり、本件破堤箇所とは一〇数キロメートル離れており、土の性状も異なっており、これを本件にあてはめることはできない。

(二) ガマの水の流速について

(1) 山口のガマの流速の計算式(別紙計算式集の式3)は、その左辺はリリーフウェル理論を適用した式であり、右辺は動水勾配による式(ダルシーの法則)で、まったく異なるものであり、これを等号で結ぶことは誤りである。そして、右式の左辺はガマ底での水頭の値hoが小さくなるほどガマを通る流量Qoが大きくなる関係にあるのに、右辺ではhoの値が小さくなるほどQoの値は小さくなる関係にあり、正反対である。したがって、右式は成立し得ないものである。

(2) ガマは、表土層の厚さや水頭差によって、噴き易いところに噴くのであって、長さ一〇〇〇メートルのところで平均的に噴出するというのは論外であり、ガマの間隔を四〇メートルとするのは、恣意的で理論的な裏付けもない。

(3) 山口は、ガマの最小流速を〇・一七cm/secと算出しているが、これは難透水性層上下面の水頭差を五・八メートルとして、前記式の右辺から算出したものであるが、前記のとおり、右部分の水頭差は一メートル程度(これによると、流速は〇・〇三cm/secにすぎない。)であり、誤りである。また、右算出にあたってko=kf(ただしkoはガマ内の透水係数)を仮定しているが、右仮定には理論的根拠がない。

(4) その他、山口は種々の条件を想定して、ガマ流速を算出しているが、ガマの流速がもっとも大きくなる堤防法尻の位置においてこれを算出しているほか、図表Nのとおりガマ流速が過大となる条件で計算しており、その結果をもってパイピング発生の可能性を判断することは誤りである。

(5) 山口は、ガマ部の鉛直上昇流速を算定しているが、透水性層中を進行することの流速は空洞に向って浸透する透水表層部の浸透速度を採るべきである。これに浸透断面積を乗じた透水層表層部浸透流量が一定とすれば、浸透断面積が増加すれば浸透速度は減少することとなる。また、ガマ部の鉛直上昇流速にその流水断面積を乗じた鉛直上昇流量が前記透水層表層部浸透流量とほぼ等しいとすれば、透水層表層部の浸透断面積がガマ部の断面積より明らかに大きいから、浸透速度はガマ部の流速より小さいと考えられる。

(三) 土粒子の移動の限界流速について

被控訴人らは、粒径〇・二五ないし〇・五ミリメートルの土粒子で構成される土の限界流速は〇・〇四cm/secとしているが、これは久保田・田中の実験値によるものであるところ、右実験値は、粒径のそろった一様性の高い材料に関するものであり、本件のごとく粒径が大小混合した均等性の高い土の場合はこれに比して動きにくいと考えられるから、これを本件の土にあてはめることはできない。

土の移動の限界流速に関してはジャスティンの式が一般によく用いられており、これによると、土粒子の比重を二・六とした場合の粒径〇・二五ないし〇・五ミリメートルの土粒子で構成される土の限界流速は五ないし七cm/secとされており、本件において土粒子が移動する可能性はない。

また、パイピングが水平方向に発達するか否かについては、動水勾配h/L(Lは堤体の幅)によるべきであり、本件の場合は〇・一二となり、限界動水勾配(〇・八)より大きく土粒子は移動しない。

(四) パイピングの発達について

被控訴人らのパイピングの発達についての主張によれば、洪水によりガマが発生すれば、それ以後の洪水によりだんだんパイピングが発達していくことになるが、長良川の堤防ではいたるところにガマが発生しているのであるから、それらの箇所でパイピング破堤が発生した筈であるのに、現実にはその様なことは起こっておらず、現実離れの議論である。また、本件破堤箇所付近の高水敷きはブランケットの役割を果たしており、この点からもパイピングの発達は考えにくい。

山口はパイピングの進行速度、加速性については定量的に検討できないとしており、単に可能性を定性的に述べているにすぎず、これによってパイピングが生起したかどうかを判断する根拠とはできない。流線網図(その等水頭線の仕切る間隔数の根拠も明らかではないが)も定性的であって、これによって定量的な評価はできない。

また、右理論は、本件破堤箇所のどの位置に、どのくらいの大きさのガマがいくつ発生し、時間的にどうなったかという、本件における現象面との関連性についてまったく検討がなされておらないし、昭和三大洪水時には本件破堤箇所に損傷が表れなかったことの説明もない。

(五) 山口のアーチ作用についての説明は、定性的であり定量的ではなく、本件破堤箇所における現象面の裏付けはまったくない。実際にパイピングがあった場合には、孔の周りからも水が集まっており、動水勾配が生じているのであるから、アーチ作用が働かないことは明らかである。

アーチ作用と安定横孔深さの関係についての主張は、側面のせん断抵抗の働きとアーチ作用とを実質的に同じとしているが、これは誤りであり、また正方形の空洞が安定するという仮定は成り立たないのであって、まったく根拠はない。

(六) 山口はパイピング破堤においても堤防の縦断方向に亀裂が生ずると主張するが、その理論的根拠も現象的裏付けもない。

(七) パイピング破堤について

山口は、パイピング孔の崩壊によって残留過剰間隙水圧が発生し、これにより堤体土の強度定数である粘着力、内部摩擦角が低下するというが、安全率の計算式それ自体において明らかなような間隙水圧によって強度が低下するのは内部摩擦角のみであるし、本件破堤において、どのようにして、どの程度低下したかについての根拠はなく、計算結果に特段の意味はない。

また、丸池を埋め戻した場合のパイピング破堤の防止効果についての主張は、その検討に用いられた強度低下係数(〇・〇五)は仮定にすぎず、その根拠もないばかりか、その計算において難透水性層上下面での水頭差を三メートルとするのは前記のとおり過大であり、せいぜい一メートルである。又、丸池を埋め戻さなくても動水勾配は〇・二五、埋め戻したら〇・一一一から〇・一二五になるだけであり、いずれも限界動水勾配の〇・七より下回っているから、ガマが発生することはなく、右主張は当を得ない。

三  本件堤体の形状、特に平場の有無についての補充的主張

本件堤防の裏法尻の丸池沿いには幅一七・〇ないし一七・五メートル以上の平場が存在し、本件堤防は安定した堤防であった。

すなわち、右平場が存在した事実は、新堤築堤関係者の供述や昭和四三年測量図(これは、長良川右岸堤防を計画定規断面に拡幅(裏腹付け)するために、建設省木曾川流域工事事務所が訴外大日測量株式会社に発注した工事用の地上測量の成果であって、これによって拡幅工事の実施設計や施工計画を決定するものであるから精度の高い結果が要求されていたものである。)により明らかである上、右測量図の天端裏肩から平場の最遠点までの距離と昭和五〇年撮影の航空写真に写っている丸池内の水生植物の最遠点との距離はほぼ等しいところ、堤防裏法尻から丸池内にかけて一〇メートル前後の区域に見られる水生植物は葦であり、その頭がほぼ水平に繁茂していることからして、池底面の勾配は水平に近く、かつ濃尾平野においては葦は水深二〇センチメートル程度までのものが最も多くみられるからその水深はその程度の浅さと推測され、更に葦に続いてヒシという水生植物がみられるが、ヒシの群生しているところの生育限界水深は二メートル前後といわれており、このことからすると少なくともヒシの繁茂する範囲までの水深は二メートル程度までであり、その池底の形態も緩やかな勾配を持ったものと推測される。なお、被控訴人らの代理人が輪之内町の日比池及び道前池において行ったとするヒシの調査結果は、右両池に繁茂していたヒシは、戦後復員者が中国から持ち帰ったトウビシであって、丸池に生育していたわが国在来のヒシとは異なる種類のものであるから、右調査結果は当を得ないし、ヒシが水深三メートル以上の池にも生えていたとの文献の記載は、山の中の池など特殊な条件の下であったか、または単体として生育できる例を引き合いに出しているにすぎず、丸池など濃尾平野において一般にみられるヒシの群生には当てはまらないし、ヒシの茎の長さと水深とは必ずしも結びつかないから、ヒシの生育しているところの水深をそのヒシの茎の長さと同程度であると推測することは相当ではない。

四  浸潤破堤についての主張の補充

1  透水係数について

透水係数は、もともと何億倍あるいはそれ以上の幅をもって変化するものであるが、本件堤体土の密度は、初期乾燥密度の値が一・三四から一・三八t/立方メートルに集中するとされていること、乾燥密度が小さい程透水係数が大きくなる傾向があること、及び図表Iの4からこれらの密度に対応した堤体土の試料の透水係数は概ね1~2×10のマイナス3乗cm/sec程度になると認められ、さらに現場の透水性は一点毎の室内透水試験に較べて高めになりがちであることを勘案すると、室内透水試験結果の内でも大きめの値である2×10のマイナス3乗cm/secを採用することは相当である。

2  せん断強度定数について

(一) 粘着力C’、内部摩擦角φ’の決定に目視法を採用したのは、慎重に試験を行なっても試験値には相当のばらつきがあるのが通常であり、その中に異常値があった場合最小二乗法ではこれを含めて機械的に計算して誤った結果を導くおそれがあり、むしろ現場における試料の採取者が自ら試験を行なって、採取の際の現実の状況と試験中の試料の状況をふまえかつ工学的な判断を加えた上で目視法により共通接線を求める方がより慎重に近いと思料されたからである。

(二) CU試験においては試料をせん断破壊させる際、水の出入りのないようにするため間隙水圧が発生するのに対して、CD試験においてはつねに排水されるようにするため間隙水圧が発生しない点に違いがあるところ、本件堤体土は砂質ロームでシルト質の細粒分を多く含んでいるため、破壊時に水を急に排水できず、間隙水圧が発生することになると考えられるので、CU試験の方が現場の状況に合致していると思われる。

(三) 粘着力C’、内部摩擦角φ’をせん断密度γ°dに対応するプロットから読取るべきことも、現場の状況にできるだけ合致させようとするものである。

(四) 仮に、山口の算定した最小二乗法による三軸圧縮試験結果をもとに、プロットした図表Kの2より判断しても、粘着力C’は〇・一t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三二度であり、控訴人の設定した強度定数の妥当性が裏付けられる。

3  簡便法について

簡便法は土質工学上確立された計算式として広く用いられており、その安定計算結果が実際の現象とよく一致しており、実際の破堤現象を矛盾なく、かつ十分な精度をもって解析できる。

4  安定計算について

安定解析は、本来設計施行上、土質構造物の安定性についての一応の目安を得るために使用されるものであって、技術上の制約から、現実の複雑な土質構造などをありのままの状態で右解析に反映させることは困難であり、構造物の断面形状、土質条件などをある程度モデル化、単純化せざるを得ないし、各種定数、係数の設定についてもいまだ十全のものとはいえない等の限界を有するものであるから、安定解析の手法及び条件の妥当性は、解析結果が堤体や地盤の土質構成、土質定数、外力条件等を考慮して現実の諸現象を的確に説明できるか否かによって検証すべきであって、現象面との適合性を捨象して計算手法それ自体の厳密性のみを検討しても意味がないし、その結果値である安全率そのものよりは、むしろ、浸潤による破堤に関係する諸要因がどの様に安全率低下に対して影響を与えるかという寄与度や、ある条件を変えた場合の安全率の低下度の違いを定量的に把握することに安全解析の主眼があるといえよう。

(一) この様な見地から、過去の昭和三五年洪水との対比や、本件洪水における安全率の経時的変化の検討結果からみると、簡便法の計算結果(山口は、簡便法によると、図表Jの2のFc(山口図面集)の線のとおり、一一日午前七時には安全率が一を割るとの計算結果を導いているが、山口の行なった簡便法の計算条件は控訴人のそれと異なるものであって、控訴人の計算によれば、同図表のFc(控訴人)線のとおり、一二日の午前四時ころ安全率一を割り、同日午前一〇時ころ最小安全率〇・九六となって、実際の破堤現象とよく合っているのである。)は現実の事象とよく一致しており、簡便法により浸潤破堤の可能性があるとする控訴人の主張は妥当性がある。

(二) また、本件堤防の存したクラック(亀裂)を考慮して、堤体の安全計算(粘着力C’は〇・三t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三三度で計算には簡易ビショップ法を用いた)を行なうと、図表Lの12のとおり、裏小段に深さ一・五メートル程度のクラックの存したことを考慮した場合、安全率は〇・九七となり一を割る結果となる。なお、この点に関する山口の主張(図表Lの12参照)は、クラックがないことを前提とした場合の最小安全率をしめすすべり面に対してのみ亀裂(現実には裏小段中央付近、東側にも生じたが、裏小段の西端の場合のみしか計算しておらず、不充分である。)ありの計算をしているにすぎず、亀裂のあることを前提とした場合を種々計算し、その最小安全率を求めるという計算をしていないので、失当である。

(三) 本件破堤に関して、松尾稔外が、基礎漏水の影響を除外した浸透解析モデルをもとに安全解析をおこない、破壊確率を計算したところ、破堤時の破壊確立の値が五〇パーセント程度(すなわち安全率が一・〇ぐらい)となることが明らかになったというのであり、これによっても本件破堤が浸潤破堤であることが裏付けられる。

なお、前記安定解析の限界を考慮すれば、安全率が一を超えれば一〇〇パーセント安全であるとか、安全率が一を下回れば一〇〇パーセント破堤するとの理解は相当でない。松尾らの土質調査の結果のバラツキを考慮した破壊確立の計算によれば、通常の施工をした盛土の場合、設計安全率が一・三であっても破壊する確立は一八パーセント前後となるというのであり、山口が本件の安全率は一・三七であって絶対に破堤しないというのは相当ではない。

五  原判決は、被控訴人小寺兼喜(番号3-27)につき、その請求額が金三三万円であるのに、金一三八万九一九六円を認容した。これは民訴法一八六条に違反したものであり、取消を免れない。

六  当事者の承継関係については、いずれも認める。

七  民事訴訟法一九八条二項の申立ての理由

被控訴人ら(別紙当審における承継関係一覧表二記載の者については被継承人ら)は、原審の仮執行宣言付判決正本に基づく強制執行を名古屋地方裁判所執行官に委任し、同執行官において、昭和五七年一二月一〇日に、それぞれ別紙請求金目録オ欄記載の金額の現金を差押え、同日その取り立てを完了した。別紙当審における承継関係一覧表二記載の者は同表記載の日に死亡し、承継人欄記載の者らが同人の権利義務を承継した。

よって、控訴人は被控訴人らに対して、右仮執行の宣言に基づいて給付した別紙請求金目録オ欄記載の各金員及びこれに対する給付の日の翌日である昭和五七年一二月一一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(証拠関係)

当審における証拠の関係は、当審記録中の書証目録、証人等の目録記載のとおりであるからここにこれを引用する。

理由

第一  はじめに

一  <証拠判断略>

第二  本件災害の発生

一  昭和五一年九月一二日午前一〇時過ぎ、岐阜県安八郡安八町大森地先において長良川右岸堤防が決壊し(以下右決壊を「本件破堤」、決壊箇所を「本件破堤箇所」という。その位置は、原判決の図16のとおりであり、地質調査報告書によれば、河口から三三・八キロメートル距離標の上流約一〇〇メートル地点から約八〇メートル上流までの間である。)、流出した河川水によって同郡安八町及び墨俣町の一部が浸水したこと、長良川は一級河川であって控訴人の国がこれを管理するものであること、以上の点は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件破堤時刻は同日午前一〇時二八分頃であったと認められる。

二  本件破堤箇所の地形及び本件堤防の形状

1  長良川の概要

長良川は、一級河川木曽川水系に属する河川で、木曽川、揖斐川と併せて通称木曽三川といわれているが、この木曽三川はいずれも広大な濃尾平野を取り巻く山岳地帯にその源を発し、それぞれ濃尾平野を貫流して、ほとんど同一地点に集まって伊勢湾に注いでおり、流域面積は合計約九一〇〇平方キロメートルに達していること、そのうち中央を流れる長良川は、岐阜県郡上郡高鷲村奥本谷の大日岳に源を発し、各支流を合わせながら、同郡白鳥町、八幡町、美濃市、岐阜市を経て、岐阜県海津町において木曽川と併流し、三重県桑名市において揖斐川と合流して伊勢湾に注ぐこと、以上の点は当事者間に争いがなく、建設省報告書によると、長良川の流域(その範囲は原判決の図1記載のとおり。)面積は一九八五平方キロメートル、幹川流路延長一五八キロメートルであり、流域面積の内約七〇パーセントが飛騨山地、両白山地の南部に属していることが認められる。

2  本件堤防の来歴

<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

一般に、沖積平野の中心部には河川の氾濫の結果として河川に沿ってやや標高の高い自然堤防が生まれ、その後方には標高の低い後背湿地が形成される場合があり、濃尾平野においては木曽三川が網状に連結して流れていたため、この自然堤防は島状にかつその外周部が環状に形成され、これに囲まれた内部が後背湿地となった。そして、右自然堤防に人が居住し、後背湿地内が水田として利用されるようになった後は、集落を洪水から守るため自然堤防を利用して人工の堤防が造られるようになり、最初は自然堤防の上流側にのみ堤防を築き、下流側は内水の排除のため堤防を築かなかった(尻無堤といわれる)が、江戸時代には無堤部分にも築堤をして環状に連続させ、集落を囲む懸廻堤へと発展し、いわゆる輪中堤が完成したのである。

以上の事実が認められる。

そして、前掲証拠と地質調査報告書を総合すると、本件堤防はもともと森部輪中堤として造られた堤を改修して今日にいたっているものであり、森部輪中堤は、慶安三年(一六五〇年)の洪水の復旧工事の施工により、森部、南今ヶ淵、大森、氷取、善光、大野及び南条の七か村の懸廻堤を完成したものであること、本件破堤箇所はもともとは森部集落の懸廻堤の一部であったが、本件破堤箇所附近は、森部輪中においても最も標高の低い後背湿地部分であって、本件堤防部分にあたるところに自然堤防とみられる部分があったとしてもその標高は低く(図表C参照)、尻無堤のころには無堤部分であり、この箇所に築堤され懸廻堤が完成したのは比較的後期であったこと、以上が推認されるのである。

本件破堤箇所附近には、堤内側に接して丸池が存在しているが、<証拠>によると、木曽側上流改修計画に基づき大正一五年から昭和五年にかけて、旧丸池(旧丸池は現在の丸池よりも大きく、現在の堤防敷の下や下流側等もその範囲に含まれていたが、下流側部分のひょうたん池と呼ばれていた部分は昭和三六年頃に埋め立てられた。)を迂回する形で川側に膨らんで造られていた旧堤を三メートル前後かさ上げして天端幅を拡幅するとともに、旧丸池の東部部分を埋め立て、もっぱら旧堤内側法面に腹付けし、旧堤の堤外側の一部を削り取って、堤防法線を整正する大改修工事が行なわれ、その結果、本件破堤は旧堤の堤体部分を堤外側に偏在して内包する形となったこと(旧堤と旧丸池の形状及び新堤築堤工事の範囲は原判決の図18、図19のとおりである。)、その後本件災害時までの間には大きな改修はなされなかったこと、以上の事実が認められる。

3  本件堤防の形状

<証拠>によると、本件堤防については、昭和四三年一〇月から一二月ころの間に、工事実施計画の立案のために地上測量が行なわれているところ、これによれば、本件堤防の幅は約六〇メートルであり、丸池との平面的関係及び丸池上流寄り部分(昭和四三年測量図の50測線)における堤防断面(丸池の池底面の状態は後記第四、四、3において認定するとおりである。)は、図表Eの該当部分のとおりであり、堤防高が約一二・八メートル(以下、高さを表わすときはTP(東京湾中等潮位)による。)で計画高水位一〇・六九メートルより約二メートル高く、天端幅が約七メートル強で、表法面には幅約三メートル強の表小段(その上端の高さは約九・三メートル、下端の高さは約九・〇メートル)を備え、裏法面には幅約四メートル強の小段(その上端の高さは約九・三メートル、下端の高さは約八・七メートル)を備えていた上、裏法尻部分には幅約二メートル前後の犬走りを有し、犬走りの東端から丸池の水際までは約五・五メートル、天端裏肩から丸池の水際までの水平距離は約二五・五メートルであり、右測量の丸池の水面の高さは三・八メートルであったことを認めることができる。そして右測量結果と<証拠>を総合すると、本件破堤時の本件堤防の形状も、右測量結果とほぼ同一であり、ただ、天端は昭和四八年ころアスファルト舗装がなされて兼用道路となっていたこと、また堤体表面は芝草等で覆われていたが、犬走り部分の先河川敷と安八町所有の土地及び丸池との境はほぼ前記図表Eの(5・0)と表示されている線であり、右線に沿って丸池へ不法に塵介が投棄されないように昭和五〇年一二月に設置されたトタン塀が存在していたこと、以上の事実が認められる。

なお、鵜飼鑑定には、五〇年航空写真から、その高さ形状を判読したものであるとして、右と若干異なる堤防断面図(図表F、前記図表Eと同じ50測線の断面である。)が示されているが、<証拠>によれば、航空写真は見えるものしか判読できず、草などの植生によって表面が覆われている場合に地盤の高さを判読することはできない上、特に高さの判読には誤差が避けられないことが認められるのであって、その正確性については問題があり、直ちに採用できない。

三  気象の概況

昭和五一年九月四日カロリン群島付近に発生した台風一七号は、同月八日午後三時には南西諸島の沖大東島の南方海上に達したこと、一方この時間にはシベリア東部のアムール河中流域に延びる気圧の谷があり、日本海西部には前線をともなう低気圧があって東進し、前線が九州まで延びており、木曽川以西の各地ではその影響を受けてすでに前日の七日から雨が降り始めていたこと、気圧の谷と前線の接近にともない、八日午後から三重県中部を中心に再び雨が降り始めたこと、台風一七号は、その後九日には沖縄付近に進み、更にゆっくり北上したが、その動きはきわめて遅く、一〇日からほとんど動きを止めて、一二日まで九州南西海上において三日間にわたって停滞し、この台風の停滞にともなって前線も本州を縦断したままの状態で活発化したこと、以上の事実は当事者間に争はなく、<証拠>によれば、台風は同月一二日午後になって北北東に動き始め、同月一三日午前一時四〇分長崎市付近に上陸後、やや衰えながら山陰沖を北東に進み、同月一四日午前六時、北海道西方海上で温帯性低気圧となった。前線も同月一三日には南東海上に移動したが、台風周辺の雲域は相変わらず中部地方を覆い、同月一四日早朝には台風の衰弱した低気圧から延びる前線が中部地方を覆い、同月一四日早朝には台風の衰弱した低気圧から延びる前線が中部地方を南下したこと、以上の台風及び前線の移動状況は原判決の図2及び図3のとおりであること、以上の事実が認められ、かつ、右気象現象の特性として、

1  台風が大型で、移動速度が遅かったこと、すなわち、台風一七号は、沖縄本島に接近するまでは気象庁の台風分類基準の「大型、非常に強い」の分類に該当し、その後、長崎市付近に上陸するまでは右基準の「大型、強い」の分類に該当したのであり、また、沖縄付近から長崎市付近までの北上速度は毎時九キロメートル弱と遅く、その間八三時間を要し、特に同月一〇日から三日間は屋久島西南海上においてほぼ停滞したこと、

2  台風が遠方にある頃から岐阜県地方などに大雨をもたらしたこと、すなわち、台風一七号がはるかに鹿児島南方約一〇〇〇キロメートルの海上にあった八日から、岐阜県地方を含む関東以西の各地で大雨が降り始めたこと、

3  降雨期間が長く、降雨の地域分布のパターンが定着したため大雨となったこと、すなわち、本件降雨は、太平洋高気圧の外縁を北西進する南東気流と台風の外縁を北上する南風との収束によってもたらされる典型的な豪雨型の降雨であったのであるが、八日から一二日にかけて、気圧パターンが北日本を除きほぼ固定したため、南よりの湿潤気流の流入が継続し、降雨の地域分布のパターンもほぼ定着したことにより、岐阜県南西部や三重県西部などの同一地域に雨が継続して、大雨となり、雨量の地域差が大きくなったものであること、

4  豪雨域が南北に細長く延びる形となったこと、すなわち、風上斜面に多いいわゆる地形性降雨の他、これとは別に、北北東から南南西に延びる細長い豪雨域が岐阜県などに現われ、そのため、山間部のみならず平野部にも同時に豪雨をもたらしたこと、

以上の各点が指摘されていることが認められる。

四  降雨の状況

<証拠>によると、前記の気象現象により木曽三川の流域へは、九月七日から一四日早朝にかけて連続八日間断続的に強雨を伴う降雨があり、その間の長良川流域を中心とする降雨量の分布は原判決の図4のとおりで、同図から明らかなように、豪雨域がほぼ長良川流域を包み込む範囲となっており、特に長良川流域に降雨が集中したものであること、また、長良川流域の主な気象庁の雨量観測所における九月七日午前九時から同月一四日午前九時までの日雨量及び総雨量は図表Bのとおりであり、期間中の総雨量は、八幡及び葛原では一〇〇〇ミリメートルを超え、岐阜、美濃及び白鳥でも八〇〇ミリメートルから九〇〇ミリメートルを超える量を記録しているが、これらの各地点で観測された総雨量は、当該地点の年間降雨量(山地部で約二七〇〇ミリメートル、平野部で約二〇〇〇ミリメートル、流域平均で約二五〇〇ミリメートル)の二分の一ないし三分の一に相当するものであったこと、なお、八幡地点、岐阜忠節地点における時間雨量は原判決の図21のとおりであり、各地点における降雨の継続時間は、八幡地点においては七日午後四時に降り始めてから一四日午前二時に降り止むまで一五四時間の内一一八時間(破堤時までの一一四時間の内八八時間)であり、また忠節地点では七日午後四時から一四日午前一時までの間一五三時間中一〇三時間(破堤時まで一一四時間の内八二時間)という長時間であったこと、また本件降雨は、破堤に至るまで四波、降り止むまで五波に及ぶ強雨群(八幡地点における強雨群の状態は原判決の表13のとおりである。)によってもたらされたものであったこと、そして、本件破堤地点から約二キロメートル東方の羽島消防署の観測記録によれば、同月九日から破堤時までの降雨量の状況は図表Aのとおりであったこと、以上の事実が認められる。

<証拠>に徴すると、本件破堤箇所もこれとほぼ同様の降雨状況であったと推認できる。

五  本件洪水

本件降雨により、墨俣水位観測所の水位が、破堤時までに四山に及ぶピークを記録したこと、すなわち、九月九日午前九時頃最高水位を示した後、一〇日午前六時ころ九・八一メートル、一一日午前二時ころ一一・三八メートル、一二日午前五時ころ一一・三メートルの各ピークを示したが、いずれも墨俣地点の計画高水位一二・一六メートルに迫るものではあったが、これを下まわるものであったことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、本件降雨による長良川の水位の時間的変化は、墨俣水位観測所の水位については原判決の図5のとおりであること、その内警戒水位八・二二メートル(量水標値四・〇メートル、墨俣地点の量水標の〇点高さはTP四・二二メートルである。)を越えた時間は、九日から一〇日にかけて約三四時間、一一日から一三日にかけて約五七時間(破堤時までは約三三時間)で、その間約一一時間ほど警戒水位を下回ったが、九日に警戒水位を上回ってから一三日にこれより下回るまでの時間(以下はこれを洪水継続時間という。)は九一時間(破堤時までは六七時間)であったこと、そして、本件破堤箇所における、水位の変化は図表Aのとおり(建設省において墨俣地点における水位をもとに本件破堤箇所の川積を考慮して推定した本件破堤箇所の推定水位である。もっとも、右の値は、<証拠>によって認められる本件破堤箇所の南方一〇〇メートル付近に存在する森部排水機場の運転日誌の記録と多少異なるが、大きな相違はなく、右記録の測定方法及びその厳密性が不明であるので、前記推定水位による。)であり、これによっても、墨俣水位観測所と同様破堤時まで四山のピークをもって水位が増減したこと、そのいずれのピークも本件破堤箇所の計画高水位一〇・六九メートルを下まわるものであったことが認められる。

また、<証拠>によれば、本件破堤箇所付近の内水位は図表Aの通り変動したことが認められる。

六  本件洪水による被害とその経過

<証拠>に前記四、五で認定した事実を総合すると、以下の事実が認められる。

1  昭和五一年九月八日昼頃降り始めた雨は同日夜半になって第一波の強雨となり、午後八時から翌九日午前四時までの降雨量は、八幡(但し、気象庁雨量観測所地点、以下同じ。)で二四七ミリメートル、岐阜で二七五ミリメートルを記録する等、長良川流域は山地部から平野部まで全域にわたり豪雨に見舞われた。このため長良川の水位は急激に上昇し、墨俣地点では、九日午前四時には水防団の出動準備の基準となる警戒水位八・二二メートルを上回り、その一時間後には水防団が出動すべき水位である出動水位九・二二メートル(量水標値五メートル)を越え、同日午前八時五〇分には第一の水位のピークに達し、最高水位一一・六三メートルを示して計画高水位(一二・一六メートル)にわずかに〇・五メートルと迫る大洪水となり、そのため、長良川の堤防は各所に法崩れ、漏水などが発生し、森部輪中内の内水位も同日午前八時三〇分ころ四・一六メートルに上がり、森部輪中の排水ポンプが排水を開始した。この頃まで、本件破堤箇所付近の堤防には異常は認められなかったが、長良川右岸沿いの堤内地の各所にガマが噴出し始め、同日午後三時頃には薬師堂北側の民家の床下(堤防法先から七・八メートルの地点)及び同民家の南側の水田の二、三か所にガマが発生した(薬師堂北側の民家の床下にガマが発生したことは当事者間に争いがない。)。

2  長良川の水位が出動水位まで減水した九日午後四時から翌一〇日午前〇時にかけて第二波の強雨があり、八幡で一二一ミリメートル、岐阜で五八ミリメートルの降雨量を記録したため、長良川の水位は墨俣地点で警戒水位を下回ることなく、再び上昇し、同日午前六時ころ第二波のピークに達し、出動水位を上回る九・八〇メートルの水位を示した。右第二波の降雨、洪水により堤防には新たな法崩れ、漏水などが各所に発生したが、本件破堤箇所付近には異常は認められなかった。なお同日午後一時四〇分ころ、長良川右岸沿いに発生したガマのうち三か所について月の輪工法による応急措置が講じられたが、その他のガマは内水位が高いため処置できなかった。

第二波の洪水は、その後減水して一〇日午後二時には墨俣地点で警戒水位を下回り、更に減水したが、同日午後九時から水位は再び上昇し始めた。なおこの間も局所的な強雨があった。

3  翌一一日午前三時から同日午前一〇時にかけて第三波の強雨があり、八幡で一四四ミリメートル、岐阜で五六ミリメートルの降雨量を記録した。このため水位は引続き上昇し、同日午後二時には第三のピークに達し、墨俣地点で計画高水位に迫る一一・三八メートルの水位となった。

長良川の堤防では、法崩れ、漏水が更に広範囲に発生し、このうち、岐阜市日置江、鏡島地先などでは特に危険な状態となり、懸命の水防作業が実施されたが、本件破堤箇所付近では、法崩れ、漏水など堤防の異常を示すものはなんら発生しなかった。

4  同日午後三時から第四波の強雨が翌一二日午前八時まで続き、八幡で三四〇ミリメートル、岐阜で二一六ミリメートルの降雨量を記録し、時間雨量三〇ないし四〇ミリメートルの降雨を伴うものであった。水位も墨俣地点で出動水位を大幅に上回る状態のまま再び上昇し始め、同日午前五時に第四の水位のピークとなり、計画高水位に迫る一一・三六メートルの水位となった。

右外水位の上昇に伴って、長良川右岸沿いのガマの活動も激化したが、これらについては、丸池上流五〇メートルの堤防法先の水路と畑の境の所に一か所、右箇所から五〇ないし六〇メートル西の農道上に一か所など常時ガマが発生する箇所以外にもガマが発生し、右箇所のガマは濁った水が噴いたことが特徴的であった。

長良川沿いの各所では、水防団、沿川住民、自衛隊による必死の水防活動が行なわれたが、本件破堤箇所付近においても、一一日午後一一時頃森部排水機場から三〇ないし五〇メートル上流(丸池南端から約五〇メートル下流)の堤防表法肩から表法面にかけて一か所、同排水機場下流の堤防表法肩及び裏法肩及び裏法肩に各一か所の法崩れ(雨水の水みちとなってできるいわゆる雨裂)が発見され、杭打ち土のう積み工法により補強作業が行なわれた。更に、同月一二日午前二時頃、本件破堤箇所上流側にある道路標識付近の堤防表法肩に、幅二、三メートル、深さ約一・五メートルの水面下に達する法崩れ(雨裂)が発見され、小型ダンプ二台の山土を入れて埋め、ビニールを覆った上に杭打ち土のう積みをする応急修理がなされた(以上の四箇所の雨裂が発見され、応急修理がなされたことは当事者間に争いがない。)。

5  そして、一二日午前一〇時二八分頃本件破堤が生じた。

6  本件降雨、洪水により被災状況は次のとおりである。

すなわち、木曽三川の直轄管理区間における堤防等河川管理施設の被災箇所は一五六箇所(木曽川八箇所、長良川七五箇所、揖斐川七三箇所)におよび、このうち被災の程度が高く破堤のおそれがあるため緊急に復旧工事をした箇所は本件破堤箇所を含めて長良川が三四箇所、揖斐川が一二箇所であって、被災箇所は長良川、揖斐川に集中しており、またその被災の度合が高い緊急復旧工事は長良川に集中している。もっとも、これら被災箇所の内破堤にまで至ったものは本件以外にはなく、復旧工事等の水防活動等によって破堤を防ぐことができた。

長良川についての災害復旧事業が施工された箇所並びにその内緊急災害復旧事業が施工された箇所及びその内容は、図表Dのとおりであって、支流伊自良川に関するものを除いた緊急災害復旧事業が施工された箇所は、右岸が三箇所で他は左岸であり、本件破堤と同様に裏法崩れと思われる箇所は、図表Dの3、5、6の岐阜市茶屋新田、11の岐阜市今泉、12の穂積町別府の三箇所であり、特にその内茶屋新田の法崩れの原因については浸潤が進んだことによるものであるといわれている。その他の被災害箇所の被災害状況は表法崩れでその施工箇所は川表である。

かように認めることができる。

七  本件破堤の経過とその状況

<証拠>に前記認定四、五を総合すると、次の事実を認定することができる。

本件破堤箇所においては、長良川の水位は一二日午前五時ころ第四のピークに達し、計画高水位(一〇・六九メートル)をわずかに下回る約一〇・三九メートルの水位を示した後、徐々に減水し始め、同日午前一〇時ころには約〇・五メートル減水して、約九・九二メートルとなった(破堤時の水位の点は当事者間に争いがない。)。また、前記図表Aのとおり、本件破堤箇所近くの羽島消防署の雨量観測結果によれば、同日午前四時から午前五時まで二三・五ミリメートル、午前六時から午前七時二〇分までの間に五五ミリメートルの降雨があり、その後降雨が止んだことが記録されていることからすれば、本件破堤箇所における降雨状況も右とほぼ同様の傾向を示したものと推認される。

同日午前六時三〇分頃、本件破堤箇所堤防裏小段に亀裂が発見された旨の通報が安八町役場にあり、直ちに現場に急行した水防団員が約一メートルの高さの雑草をかきわけて亀裂の状況を調査したところ、一条の亀裂は裏小段中央の西川寄りに走っており、堤防が丸池と接する区間の内上流側の部分では亀裂の幅は約二〇センチメートルあり、その部分で五〇センチメートルの落差を生じていたが、右亀裂は下流に行くに従って細くなり、遂には糸の筋のような状態になって終わり、全体として南北約八〇メートルの長さ(丸池に対応する位置で、かつ丸池の堤防縦断方向の幅とほぼ同じ長さ)で、もう一条の亀裂は裏小段法肩から少し下がった箇所に、南北二〇ないし三〇メートルの長さ(堤防が丸池と接する区間のうち上流側の位置)に走っており、その幅は大きい部分では前記の亀裂と同程度の幅と落差があった。

同日午前七時三〇分過頃、建設省中部地方建設局木曽川上流工事事務所長良川第二出張所長堀敏男、安八町建設課長坂博らが現場に到着し、亀裂の大きい部分を調査したところ、亀裂の深さは長さ二メートルのポールがほぼ入る状態であった。同人らの協議により亀裂の補修工法として押え盛土工法を実施することとなり、これを土木業者高田建設に依頼することが決定された。

同日午前七時五〇分頃亀裂の状態を知るため、坂建設課長の指示により草刈機を用いて、水防団員及び付近住民ら、最終的には約二〇〇人によって堤防裏法面の草刈が始められた。草刈は亀裂から法先の方へ五ないし六メートルの幅、七〇ないし八〇メートルの長さの範囲を約一時間かけて実施された(以上のとおり草刈が実施されたことは当事者間に争いがない。)。

このころから、堤防では草の根の切れる音がしており、また丸池内に捨てられていた空缶が風もないのに鳴っており、これらの音は破堤まで続いた。亀裂は裏小段より上の裏法面に拡大し、裏小段全体が五〇ないし六〇センチメートル沈下した状態となっていた。

同日午前九時頃、草刈はほぼ終了し、引続き山土が到着した場合の準備作業を行なうこととなり、草刈が終了したところから杭打ちが始められた。杭打ちは、二・三ないし二・四メートルの杭を、裏小段下の亀裂から法先の方へ四メートル以上離れた法面に二列打つもので、四、五人が一組になって三〇キログラムのタコを使用してなされた(杭打ちが行なわれたことは当事者間に争いがない。)。堤防が丸池と接する区間の中央部より少し上流寄りの部分は、その他の部分に比べ、法面が軟らかく、杭打ちは早く進行した。この間も亀裂は拡大を続け、亀裂から下の法面は沈下し、裏小段から上の法面も徐々に天端の方に向かって崩れて行った。同日午前一〇時頃には中央部付近の亀裂の中に徐々に濁り水が溜まってきており、約五〇センチメートルの深さに泡が見えていた。また、亀裂による崩れは二メートル以上に達していた。裏小段全体も約一メートル沈下していたが、裏小段の表面は比較的固く、水が染み出てくる状況は認められなかった。

同日午前一〇時頃杭打ちが終わったところから杭に横木を添えて針金で連結する作業に入り、破堤まで続けられた(以上の作業が行なわれたことは当事者間に争いがない。)。

このころ、丸池の表面は、魚がいるようにゴボゴボと動いており、水の盛り上がりや渦巻きのような現象がみられた。裏小段から下の法面が少しずつ沈下していき、全体が平地のようになって小段がどこか分からない状態になり、中央部より少し上流側の部分で杭が下に流れるような現象がみられ、一直線に打たれた杭の列が丸池側に湾曲し、丸池の東側に堤防沿いに設置されていたトタン塀も同様丸池側に湾曲していた。しかし天端舗装面は沈下しておらず異常がなかった。

同日午前一〇時二八分ころ、杭と横木を繋いでいた針金が連続的に切れ、犬走りから裏小段にかけて堤防法線と平行に地震のような揺れが起こり、法面全般に無数の亀裂がはいり、トタン塀がベキベキという音を立てて、ザブンという水の飛び跳ねる音がし、トタン塀は丸池側に弓なりに曲り、その丸池側で水しぶきが上がった。以上のようにして堤防が丸池と接する区間のうち上流側で裏小段の付根を上端とするすべりが発生し(第一次すべり)、崩落した土砂と共に同所で作業中の水防団員らも丸池方向へすべり落ち、その直後に天端表肩付近を上端とするすべりが発生し(第二次すべり)、天端舗途方部分及び同所に駐車してあった消防自動車やトラックなども土砂の崩落と共に転落した(以上のうち、一次すべり、二次すべりが発生したこと、そのため水防団員や自動車が転落したことは当事者間に争いがない。)。

なお、破堤直前の亀裂の補修を行なうため依頼したブルドーザーが到着したが、破堤が始ったためそのまま引返して行った(この点は当事者間に争いがない。)。

土砂崩壊の後、表法面部分は断崖状となって残ったが、数分後、崩れかかった表法肩から河川水が少しずつ溢水し始め、やがて本格的な破堤へ進展し(以上の事実は当事者間に争いがない。)、トタン塀より西側の部分は土塊のままで流入水に押し流され、丸池の西寄り部分に止まった。破堤口は次第に拡大して最終的には天端の高さのところで約八〇メートル(この点は当事者間に争いがない。)、地盤の高さのところで約五〇メートルとなった。

かように認めることができる。

第三  河川管理の瑕疵の有無について

一  河川管理の特質と制約

国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい(最高裁昭和五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁)、これを河川についていうならば、河川施設は予想された洪水を氾濫させることなく、海まで流下させることを目的として築造されるものであるから、河川施設の有すべき安全性とは洪水を氾濫させない構造を有すべき性質のものと一応いうことができる。

しかしながら、河川は、本来自然発生的な公共物であって、管理者による公用開始のための特別の行為を要することなく自然の状態において公共の用に供される物であるから、通常は当初から安全性を供えた物として人工的に設置され、管理者の公用開始行為によって公共の用に供される道路その他の営造物とは性質を異にし、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性を内包しているものである。

そして、右の違いは次に述べるような河川管理の特殊性として表われる。

1  道路等は、これを設置するか否かの選択の余地があり、従って設置されることにより初めて危険が創出されるのに対して、河川は、本来これを設置するか否かの選択の余地がなく危険を内包した状態のまま供用される。

2  危険状態を回避するために、道路等は交通禁止等簡易な手段をとることができるのに対して、河川にはこのような手段がない。

3  道路等は、人や車というものを対象としているのでその外力の規模、作用等の予測は比較的容易であるのに対して、河川は流水という自然現象を対象としているため、その源となる降雨の規模、範囲、発生時期等の予測や洪水の発生、作用等の予測が極めて困難である。

4  道路等については、供用開始前に実物実験を行ない安全性を確認することができるのに対して、河川においては、洪水の作用などの把握は実物実験によることが困難で、実際の出水による損傷などによってこれを検証せざるを得ず、結局河川管理の大部分は既往の洪水の経験に依拠せざるを得ない。

また、河川の通常備えるべき安全性の確保は、予想される洪水等による災害を防止すべく、堤防の安全性を高め、河道を拡幅、掘削し、流路を整え、放水路、ダム、遊水池等を設置する等の治水事業を行なうことによって達成されていくものである。

しかしながら、この治水事業はもとより一朝一夕にしてなるものではなく、全国的にみれば改修を要する河川がほとんどであり、しかも改修には莫大な費用及び長年月を要する現状においては、改修事業の実施は、限られた予算の内で、それぞれの河川についての改修の必要性、緊急性を比較しながら、その程度の高いものから実施していくほかはないうえ、流域の開発等による雨水の流出機構の変化、地盤沈下、低湿地域の宅地化及び地価の高騰等による治水用地の取得難その他の社会的制約も増加しているのであって、治水事業はかかる諸制約の下でなされなければならないのである。

河川の管理については、前記にみたような特質と制約が存在するのであって、河川管理の瑕疵の有無の判断に当たっては、右の点を考慮すべきものといわなければならず、洪水が氾濫したということから直ちに短絡的に河川施設の設置、管理に瑕疵があるということはできないのである。

しかして、河川の安全性としては、右諸制約の下で一般に施工されてきた治水事業による河川の改修、整備の過程に対応するいわば過渡的な安全性をもって足りるものとせざるを得ない。

このことからすれば、一般的に、「当該河川の管理の瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、前記諸制約の下での同種、同規模の河川管理の一般水準及び社会通念に照して、是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。」(最高裁昭和五九年一月二六日第一小法廷判決、民集三八巻二号五三頁)といわなければならない。

二  河川管理の方針と実際

そこで、我が国の河川管理の方針と社会的経済的重要度において長良川と同種、同規模と目される一級河川についてとられてきた河川管理の実際について判断するに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  前記認定のとおり、河川管理の特質と前記諸制約のもとでは、すべての河川において通常予測される洪水のすべてを防御しうることとなるためには長年月を要し、当初から通常予測される洪水のすべてを防御目標として設定することはむしろ現実離れしたものとなる。そこで、通常予測される洪水のすべてを防御できるようになるまでの間の河川行政としては、全国的に均衡のとれた洪水防御対策を推進していく必要から、長期的展望にたった河川計画を定める一方で、河川の重要度を指標とする統一基準に基づき河川毎に、右諸制約のもとで合理的かつ実現可能な防御目標を設定し、これの実現を図る方向でなされてきた。

現行河川法は、このようなものとして各河川管理者に対して工事実施基本計画の策定を義務付け、右計画においては、基本高水並びにその河道及び洪水調節ダムへの配分に関する事項、主要な地点における計画高水流量に関する事項などを定めなければならないとしている。

基本高水とは当該河川の工事実施基本計画の基本となるべき防御対象洪水で、これを洪水流量波形として表わしたものをいい、これを河道、洪水調節ダムなどに合理的に配分して、河道の最大流量である計画高水流量が定められ、更に当該河川の状況に即して計画高水流量に対応した流下断面(流水の流下に有効な河川の断面)を確保することを基本として計画横断形が定められ、このような計画横断形のもとで計画高水流量が流下する場合において達するであろう河川の水位を算出したものが計画高水位である。

右計画高水位に従って堤防の高さ(計画高水位に余裕高を加えたもの)が決定され、かかる高さを有する堤防の安定や補修作業等の管理の便宜、降雨の浸透作用等を考え、堤防の形、すなわち、天端の幅、法勾配、小段の数と幅、堤体幅などが決定される関係になっている。

2  以上によれば、基本高水(「基本高水」という概念は、現行河川法によってはじめて採用されたものであり、それ以前のものを含める場合は「防御対象洪水」という。)としていかなる洪水が設定されているかが、現行の治水行政の程度を端的に表わすものである。

当初、それまでに当該河川で発生した最大規模の洪水を防御すべくその最大流量を防御できることを目標に河川改修計画が立てられ実施に向けての努力がなされていた。

しかしながら、このような既往最大主義はその後により大きな洪水が発生した場合にはその都度改定の必要があるうえ、他の河川との均衡が得られない等の欠点があった。

そこで、最大流量の設定は、各河川の流域の社会的経済的重要性、既往洪水による被害の実態、事業効果などを考慮して各河川の重要度に応じて定められた洪水の規模の生起確率によって決定される防御対象洪水を基にして設定することに変更された。

そして、洪水の規模の生起確率も、当初は各河川について過去の洪水のピーク流量の年超過確率によっていたが、その方法では上流域における氾濫を考慮してそれによる流量分を持ち戻す必要があったり、上流域における開発などによる流出パターンが変化した場合にこれを考慮するのに困難があることから、時間雨量のデータが整備され、流域に降った雨が洪水となって流出する量が計算できるようになったところでは、洪水の成因となる降雨の規模、いわゆる計画降雨の降雨量の生起確率(年超過率)を基に計算された洪水流量波形に基づき基本高水を決定する方法に移行してきている。

右の計画降雨の生起確率については、河川の重要度に応じ、現在では、一級河川の主要区間においては一〇〇分の一から二〇〇分の一(一〇〇年から二〇〇年に一回生起する確率との意味である。)又は二〇〇分の一以下、一級河川のその他の区間及び二級河川の内都市河川において五〇分の一から一〇〇分の一、都市以外の中小河川において一〇分の一から五〇分の一又は一〇分の一以上となるように定められている。なお、本件災害の当時には、改定前の建設省河川砂防技術基準(案)計画編によるものとされていたが、これにおいては計画基準洪水のピーク流量の年超過確率については、河川の重要度に応じて河川をA級ないしC級に区分し、A級において八〇分の一から一〇〇分の一、B級において五〇分の一から八〇分の一、C級において一〇分の一から五〇分の一とするのがおおよその基準であるとされており、長良川はA級に該当した。

3  以上のような方法によって、各河川毎に、過去に発生した洪水の中から所定の生起確率に該当する洪水が抽出され、基本高水が設定されるのであるが、現実に設定された基本高水は、その設定方法からくる当然の結果ではあるが、我が国における洪水の特性を反映し、一過性の高い水位の洪水であって、例えば数日間、何週間も高い水位が継続するような洪水が設定された例(このような場合には、河川水の浸透作用等を考慮して堤体の幅を特別に厚くする等の対策が必要となる。)はない。

すなわち、わが国の河川は国土の特性から急勾配で流路が短いため、流域に降った豪雨が短時間の内に流出して洪水を引き起こし易いという地形的条件下にあり、わが国の洪水は、洪水の総流出量に比して最大流出量が大きく、短時間に大きな流量で高い水位の洪水が発生するという特徴を有するが、他方、短時間で河口まで流れ、かつ、流域が比較的狭いため、降雨の継続時間に応じて高い水位となるという関係にはない。

また、気象現象からいえば、わが国は世界でも有数の多雨地帯に属し、特に台風時や梅雨時には短時間に多量の降雨がもたらされるという気象条件下にあり、これら短時間の多量の降雨が洪水をもたらすことが多い。いわゆる長雨のように継続時間の長い降雨現象もないわけでないが、長雨が常に洪水現象をともなっているわけではなく、また、豪雨現象をともなう場合であってもそれが特定の流域に長時間継続するということは稀有のことであるから、長雨があれば高水位の洪水が常に発生しかつその継続時間が長くなるという関係にはない。

以上の地形的条件、気象現象から、我が国の洪水現象には、高水位継続時間が数時間から一、二日程度と短いいわゆる一過性の洪水が多いという特徴があるのである。

4  ところで、洪水防御のための主要な施設である堤防は、わが国では、昔から現在に至るまで、土を材料として造られてきた。これは、材料である土の大量取得が容易であること、構造物としての劣化現象が起きないこと、基礎地盤と馴染むこと、将来の改修や修復等の工事が容易であること等他の材料に比べ優れた点を有することに加え、古来より土で造られた堤防によって洪水を防御してきたとの実績によるものであって、因みに構造令一九条も「堤防は盛り土により築造するものとする。」と規定して、いわゆる土堤原則を採用することを明らかにしている。

しかしながら、土で作られた堤防は越水すると、堤体が流水によって洗掘されてたちまち破堤に至るという弱点があり、現に大多数の破堤が越流作用によるものである。すなわち、わが国における昭和二二年から同四四年までの破堤事例の内、原因不明の事例を除くと、その八二パーセントまでが越流作用による破堤である。

また、土で作られた堤防は、水衝作用や浸透作用等の流水の作用に対しても、その安全性に限界があり、浸透作用についていえば、降雨や洪水が長時間継続したような場合には、雨水や流水が土堤に浸透することを回避する方法がなく、これにより堤防が損傷し、稀にはついには破堤に至ることもある。よって、これらの作用から堤防を護ることを考慮する必要がある。

しかしながら、河川水の浸透作用は時間的に遅く、これによって堤体の安全が損われる程に至るにはかなりの時間を要するのであって、計画高水位に基づき所定の高さと幅等前記のような構造を具備するように堤防を整備すれば、その結果として同時にかなりの長時間の洪水による河川水の堤体からの浸透作用に対する防御も機能的に包含される関係にある。すなわち、計画横断形のもとで計画高水位程度の水位が何時間継続することにより堤体から浸透する河川水によって形成される浸透線が裏法尻に達するかを、内田茂男の式(別紙計算式集の式4)及びストロールの式(同式5)によって算定すると、圧倒的大部分の河川堤防の材料が属する領域の中で最も浸透し易い粒度曲線の土においてさえ、内田の式による場合は約四日間、ストロールの式による場合は約七日間続いて初めて浸潤線が裏法尻に達する計算結果となるのであって、堤体土の選択を誤る等のことがない限り、そのような長時間洪水が継続しても浸透作用に対して一応安全なものであると認められるのであり、このことは、かなりの程度の洪水の浸透作用を防御し得たとの実績にも符合する。

少なくとも、我が国においては災害をもたらすような洪水は一過性の洪水が多く、その継続時間は短かったため、浸透作用による堤防の影響については実際に問題となったことはなかったし、前記のとおり洪水の継続時間が長いことを特に考慮して基本高水が決定されたような例はなかった。

5  以上のとおり、我が国においては、一過性の高い水位の洪水が起こりやすいという特徴があるところ、大部分の堤防は土で造られていて洪水が越流した場合には致命的な損傷を受けるおそれがあり、現に越流による災害が多いことから、わが国に於ける治水施設の整備は、洪水を越流させないことを第一義とし、これを目標として主として堤防の高さを確保することに向けて進められ、河川水の堤体への浸透作用について特別にその対策をとるべきであるとして一般的な基準を設定するようなことはなされてこなかった。

換言すれば、洪水による災害の防御に関する国の河川行政は、主として予想される高水位の洪水を越流させないことを目的として、防御対象とする最大流量を設定し、これを防御することを目標として河幅の拡幅、堤防のかさ上げなどの改修工事の計画を策定し、これを実施することによってなされてきたのである。

このことからすると、防御の対象にされた洪水がいわゆる一過性洪水か、それとも長期間継続し浸透作用等についても特別の対策をとるべき洪水かという次元において洪水の継続時間がその要素に含まれるとはいえ、基本高水において意味があるのは洪水の最大流量であって、基本高水の継続時間そのものに特別の意味をもたせることはできない。

ましてや、基本高水の洪水継続時間をいくらかでも超えるような洪水はこのことのみによって直ちに防御の対象ではないというようなことは到底いえないというべきである。なるほど、基本高水は前記のとおり、洪水流量波形をもって表わされているところから、洪水の継続時間も一つの要素をなしていると解する余地があるが、流量波形をもって表わされているのは上流域における降雨などがどれくらいの時間でどの程度の流量、水位として表われるかを知り、上流における開発やダムによる調節等による変化を予測するためのものと解するのが相当であって、これをもって防御対象洪水が基本高水の継続時間程度の洪水であるというような控訴人の見解は採用できないのである。

被控訴人らは、長良川における工事実施基本計画は、明治二九年洪水を考慮しなかったことにより既往最大のものを考慮していない結果となっているとか、揖斐川流域の降雨洪水を考慮しなかったことから年超過率の算定を誤っているとか、年超過率の算定方法が統計学的にみて不当であるとか種々主張するが、これらの主張はいずれも基本高水とされた洪水の継続時間程度の洪水が防御対象洪水であるとの見解をとって初めて問題となることであって、当裁判所はそのような見解は失当と考えるから、被控訴人らの右主張については判断の要をみない。

6  長良川における防御対象最大流量の変遷

<証拠>によると、長良川においては、明治一九年以降数次の改修計画が立てられ、数次の計画の見直しの後、昭和四〇年に河川法に基づく工事実施基本計画が策定されるにいたったこと、各計画において定められた防御対象最大流量(計画高水流量)は以下のとおりであることが認められる。

明治一九年策定され同二〇年から実施されたいわゆる明治改修では、毎秒一五万立方尺(約四一七〇立方メートル)、大正一〇年策定された木曽川上流改修計画では毎秒一六万立方尺(約四四四五立方メートル)、昭和二八年度の木曽川改修総体計画では毎秒四五〇〇立方メートルとそれぞれ定められた。

ところが、昭和三四年九月(伊勢湾台風によるもの)、昭和三五年八月と昭和三六年六月の三年連続して従来の計画高水流量、水位を大幅に上回る洪水、いわゆる昭和三大洪水が発生した。そこで、昭和三大洪水の最大流量を検討して、昭和三八年度以降は、岐阜市忠節地点においてピーク流量を毎秒八〇〇〇立方メートル、内毎秒五〇〇立方メートルを上流部で調節して計画高水流量を毎秒七五〇〇立方メートルとすることに改められた。

昭和三九年河川法が改正され河川管理者に工事実施基本計画の策定が義務付けられ、長良川については昭和四〇年に策定されたが、その内容は、昭和三四年九月、同三五年八月の洪水を基本高水とし、計画高水流量については前記昭和三八年に改めた流量を相当とし流量の変更はなかった。

なお、右計画高水は前記の一級河川につき定められた年超過確率にも合致するものであった。

7  前記のとおり、我が国においては、河川水の堤体への浸透作用について特別にその対策をとるべきであるとして一般的な基準を設定するようなことはなされてこなかった。

しかしながら、わが国の治水の歴史は、古くは、自然堤防上に土を盛り上げて堤を造ったことに始まり、その後、何回となく洪水を経験する度に、その時の判断と技術により行われた堤防のかさあげ、拡幅などの改修工事の積み重ねであったのであり、現在の堤防はそのようにして逐次形成されてきたものであるから、その堤体内部の構成及び土質は場所により異なり、不均質な状態となっている。また、堤防は、自然が形成した河川に沿って築造される物でその築造位置を自由に選択できないところ、堤防の基礎となる自然地盤の地質、地層、層厚も場所により様々であり、特に河川の付近は過去における度々の流路の変遷、河川による堆積、洗掘等を受けた履歴のある地盤であることが多いから、その不均質の程度は高いということができる。

そして、堤体及び基礎地盤の土質のこのような不均質性に起因して、堤防には場所毎に相対的な強度の差(機能限界の差異)が本来的に存在するのであって、浸透作用から堤防を安全なものとするためにはこれらの土質条件を考慮しなければならないというべきである。

しかるに、新たに運河を掘削したりするような場合は別として、現に存在する堤防の場合は、堤体やその地盤の土質を調査するためにボーリング調査などをすることは、そのこと自体で堤体の安全性を低下させかねず、その結果も堤防全体を把握することとはならないなど、堤体及びその地盤の土質等の調査は方法自体限られ、そのため堤防の強度の把握には著しい困難を伴うものである。そのうえ、これらの流水の作用及びこれに対する対処方法については河川工学、土質工学の分野においても未だ必ずしも十分には解明されていないし、これらの作用に対して安全な施設を河川全体にわたって造るには財政的な制約がある等の事情があり、あらかじめこれらの流水の作用に安全な堤防等を造ることは容易なことではない。

ところで、前記のような当該箇所毎の土質の特殊性による浸透作用の現象は、それによる堤防の損傷がその作用に対する強度の弱い箇所に集中して表われるといわれており、このような現象によってむしろ逆に堤体や基礎地盤の特殊性を知ることができる。すなわち、堤防は土で造られているため、堤体ないしはその地盤に破堤を引起こす程の欠陥が存在するとすれば、堤体外部に沈下、陥没、亀裂、法すべりなどの形でその兆候が表われることが経験的に知られるおり、また堤防は大きな洪水を受けると、全く無償で洪水を通過させることはほとんどなく、堤防の弱い部分に洗掘や漏水による法崩れ等の損傷が発生するのである。

このような土質状態の特殊性の把握に関する諸条件と前記のとおり浸透作用により破堤にまで至ることは少なくないことから、わが国に於ける堤防の整備方針としては、かかる浸透作用に対しては個別的に対処すれば足りるものであって、越流作用に対するように全川にわたり画一的に対応することはむしろ適切でないとの判断に立って、これらの流水の浸透作用に対する防御を第一義とはせずに、専ら高い水位を持つ短時間の洪水を防御の対象として堤防の整備が進められてきたのであり、これらの流水の浸透作用に対する堤防の整備は過去の洪水時の経験などに照らし危険とされた場所について個別的に所用の対策を講ずるという方法がとられているのにとどまるものである。

8  以上によれば、河川管理としては、計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有する堤防を築堤することを目標として改修が実施されてきたのであって、現実の改修事業の達成の水準に鑑みれば、そのような高さと幅を有する堤防が築堤されていれば堤防については河川管理の一般の水準にあったと一応目すべきであり、その堤体やその地盤に特別な弱点がないにもかかわらず、このような堤体が破堤を免れなかったような程度の浸透作用を伴う洪水によって破堤したのであれば、もはや河川の管理の瑕疵を問うことはできないのはもちろんである。

しかしながら、当該洪水の継続時間が長かったとしても、これによる浸透作用が前記のような程度には至らないものであるにもかかわらず、計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有する堤防が破堤した場合には、その堤体やその地盤に特別な弱点が存在するものと考えるのが相当であって、そのような場合には、その弱点が堤体及び基礎地盤が有する宿命的なものか否か、破堤以前に弱点の存在を予測させるような現象はなかったか、予測できたとしてこれによる悪影響を回避するための手段が技術的にかつ時間的に可能であったか否か、更には財政的、社会的制約のもとにおいて可能であったか否か等の検討をなし、管理の瑕疵の有無について判断することとなる。

三  河川管理の瑕疵の判断基準

1  本件堤防が計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有する堤防であったことは、当事者双方に異論はない。

すなわち、長良川においては前記工事実施基本計画に基づく河川施設の整備が逐次進められ、本件破堤時においても、裏法面の拡幅工事を主とした改修が予定されてはいたが、本件堤防は計画高水流量程度の洪水には十分に耐えられるだけの高さと幅を有していると評価され、実際昭和三大洪水を安全に流下させ、本件洪水においても計画高水位に迫る三波のピークを乗越えてきたのである。

また、前記認定のとおり、本件破堤当時、本件堤防は、堤防高が約一二・八メートルで計画高水位一〇・六九メートルより約二メートル高く、天端幅が約七メートル強で、法勾配は平均的にみて五〇メートルより緩やかであり、表法面には幅約三メートル強の表小段(その上端の高さは約九・三メートル、下端の高さは約九・〇メートル)を備え、裏法面には幅約四メートル強の小段(その上端の高さは約九・三メートル、下端の高さは約八・七メートル)を供えていた上、裏法尻部分には幅約二メートル前後の犬走りを有し、犬走りの西端から丸池の水際までは約三・五メートル近くあったのであり、堤防の天端の高さと幅、法勾配、小段等本件堤防の横断形は、本件災害後の一〇月に施工された構造令に照しても十分にこれに適合するものであったのである。

2  しかして、前記認定によれば、本件破堤は本件堤防について定められた計画高水位を超えない水位の洪水によって起こったのであり、破堤の前後の降雨、洪水の状況及び破堤の態様からみて、堤体上への降雨と河川水の堤体への浸透作用がその要因の一つであることは、容易に推測ができる。

控訴人は、本件で控訴人が安全に流下させるべく対応を要求されていた洪水(防御対象洪水)は、長良川について工事実施基本計画で基本高水とされた昭和三四年九月、同三五年八月の洪水及びこれに匹敵する昭和三六年六月の洪水を加えたいわゆる昭和三大洪水程度の流量、水位及び継続時間を有する洪水にすぎず、本件のような継続時間が極端に長い洪水(<証拠>によると、昭和三四年九月、同三五年八月の洪水の継続時間はいずれも二一時間(墨俣水位観測所の水位)であり、昭和三六年六月洪水の継続時間は四五時間(前同)であり、これに対して本件洪水の継続時間は前記認定のとおり、本件破堤時までをみても六七時間(前同)であって、一・五倍から三倍である。)は防御の対象外であるから、このことからしてすでに管理の瑕疵はないことが明らかであると主張するところ、一過性の洪水の範疇に属する洪水については、基本高水概念には、洪水の継続時間は重要な要素として含まれておらず、ましてや基本高水とされた現実に生起した洪水の継続時間を超える継続時間の洪水は防御の対象でないというようなことがいえないことは前記のとおりであり、本件洪水の浸透作用が、本件堤防の堤体や地盤に特別な弱点がないにもかかわらず、破堤を招かざるをえなかった大きさのものであったことを主張、立証して初めて、本件洪水が防御の対象洪水を超えるものであって本件破堤につき河川管理の瑕疵がないということができるのである。

本件において、右主張、立証はもとよりなく、かえって、<証拠>を総合すると、河川水の浸透作用は時間的に遅く、堤体の安全を損なう程に至るにはかなりの時間を要し、これを本件堤防についてみれば、例えば、天端幅七メートル、法勾配二・五割、堤防高さ及び水位七メートル(計画高水位一〇・六九メートルと堤内地盤高さ三・六八メートルとの差)、堤体土の間隙率五〇パーセント、浸水係数は2×10のマイナス3乗cm/secとして計算すると、浸潤線が裏法尻に達するまでの時間は内田の式による場合は約二七日、ストロールの式による場合は約五二日となることが認められるのであり、本件洪水の継続時間程度では到底破堤に至るものではないし、また、後記認定のように本件堤防には基礎地盤の難浸水性層の不連続が存在すると認められるところ、本件堤防に特異なものと認められる難浸水性層の不連続を考慮しない場合には、本件洪水による浸透作用による浸潤線の上昇の程度は小さく、同浸透作用は、これのみによっては到底破堤をもたらすようなものではないことが解るのである。

よって、破堤の原因を検討するまでもなく河川管理の瑕疵がないことが明らかな場合に本件が該当しないことは明らかであって、控訴人の右主張は採用できない。

3  被控訴人らは、本件堤防は、計画高水位以下の水位を有する洪水を防御し得るものとして築堤されていたが、このような堤防は、本件洪水程度に高水位が継続したとしてもこれによる浸透作用に対しても安全な設計となっていたはずであって、それにもかかわらず、本件破堤が発生したのは、本件堤防に欠陥が内在したものであって、河川の管理に瑕疵があるものと推定できると主張する。

たしかに、前記認定のとおり、我が国においては越流によらずして破堤したようなケースは極めて少なく、計画高水位程度の水位を防御できる程度に整備がされた堤防は浸透作用についても一応安全であると考えられてきたこと、現に特別の弱点がない以上はそのような能力を有すると考えられることからすれば、計画高水位程度の水位の洪水が越流することなくして破堤した場合には、他に特別の弱点のないかぎり、河川管理に瑕疵があったと推定するのが相当であって、前記認定によれば本件の場合は一応これに該当し、河川管理の瑕疵を推定するのが相当であるかのようにみえる。

しかしながら、瑕疵の推定というものは、いわゆる事実上の推定であって、前提となるある事実があれば経験的に他のある事実の存在の蓋然性が高いということを意味するにすぎないものであるから、かかる経験則を適用するのを相当でないと思料されるような事実が存在する場合、すなわち、特別の事情がある場合には、もはや瑕疵の推定ができなくなるのである。

そして、本件においては、後記認定のとおり、本件堤体の基礎地盤には難透水性層の不連続があり、本件洪水の高水位が継続した間、右難透水性層の不連続部分から多量の河川水が浸透し、堤体の浸潤線を上昇させ、堤体の安全性を損ったことが認められるところ、このように浸透作用との関係で堤体の安全性に影響を及ぼすような特異な地質条件(弱点)が存在する場合には、その弱点の内容それ自体から管理の瑕疵が存在することが明らかな場合は別論として、そうでない場合には、瑕疵の有無を判断するには、当該弱点が堤体及び基礎地盤が有する宿命的なものか否か、破堤以前に弱点の存在を予測させるような現象はなかったか、予測できたとしてこれによる悪影響を回避するための手段が技術的にかつ時間的に可能であったか否か、更には財政的、社会的制約のもとにおいて可能であったか否か等の検討をなす必要があり、本件にみられる難透水性層の不連続はこれをもってそれ自体から管理の瑕疵が存在することが明らかな場合であるとは到底いえず、このことからすれば、本件においては、河川管理の瑕疵の存在を推定することのできない特別の事情があるというべきである。

結局、本件においては、瑕疵の推定はできない。

第四  破堤原因

一  以上によれば、本件破堤につき河川管理の瑕疵の有無を判断するためには、破堤の原因について検討する必要があるのでこれについて検討する。

<証拠>によれば、一般に、洪水時に発生する堤防の破堤ないし損傷の形態としては、河川水の越水、河川水の流れが表法面に衝突することによる堤体の洗掘、上昇した河川水位が急激に低下することにともなう残留水圧による表法面の崩壊、雨水などによる堤体の浸食、堤体に穴等の欠陥が存在することにより生ずる堤体漏水の他、河川水もしくは堤体上の降雨が堤体もしくは基礎地盤を通して堤体に浸食し浸潤することにより堤防の安定が害されて破堤に至る浸潤破堤、高水位により河川水と連なる地下水の圧力が高まり堤内側の表層を突き破り基礎地盤内の土粒子を噴出して堤防の基礎地盤を脆弱化させ堤防の安定性を害し破堤にまで至らしめる地盤漏水(以下「パイピング破堤」という。)の各形態があると認められるところ、本件破堤経過にみられた前記認定の諸現象、すなわち、杭を打っている最中に杭が下に流れるような現象がみられたり、破堤の際法面全体にひびわれがみられたりしたこと、そして、本件破堤は裏法面における大規模なすべりによるものであったこと、これらの現象からして本件破堤が越水、洗掘、残留水圧、浸食、堤体漏水による破堤でないことは明らかであり、浸潤もしくはパイピングによる法すべりを原因とする破堤であると考えられる。

ところで、前記認定によれば本件破堤は、裏小段の付け根付近を上端とする第一すべりに引続き、天端表肩付近を上端とする第二次すべりが発生し、その後崩れかかった表法肩から河川水が溢水し始め、本格的破堤に至ったものであるが、前記認定の破堤経過に弁論の全趣旨を総合すれば、第二次すべりは第一次すべりによって堤体が大きく欠け、全体として安定性が損われたため起きたものであって、第一次すべりが起きた以上第二次すべりは避けられなかったと考えるのが相当であると認められ、第二次すべりの位置や範囲並びにその規模が、本件のようになったことについての原因に関する諸々の主張、すなわち、第二次すべりの位置は新堤と旧堤の境であって、新堤築堤工事の際に除草や堤防の段切りが不十分にしかなされず、新堤と旧堤の馴染みが悪かったためであるとか、新堤部分が沈下しつつあり、旧堤の上に乗っていた部分が引張り上げる関係にあったとか、更には、本件堤防の内丸池に沿った区間の上流端の天端表法肩から法面にかけて生じていた法すべりが第二次すべりの範囲と関係があるとの主張は、それ自体においてはさほどの意味はないこととなる。

以上によれば、本件破堤については、第一次すべりが発生した原因の検討が河川管理の瑕疵の判断にとって重要と考えられるので、以下これについて判断する。

<証拠>によれば、法すべりの発生機構は次のとおりであること、すなわち、一般に堤防法面のように地表面が傾斜している場合、土は自重によって常に下方に移動しようとするせん断応力を有しているが、これに外力が加わるなどして、土中のある面でこのせん断応力がその面に加わる土のせん断抵抗より大きくなると、その面を境として両側の部分に相対的な移動が生じ、土は安定性を失い破壊することとなり、この破壊が、ある連続面に沿って発生すると、その連続面で区切られた土塊が滑動を起こし、斜面が崩壊するに至るのであって、このようにして堤防法面に法すべりが生ずることとなること、そして、洪水時には、堤体上に降った雨水が堤体内に浸透し、また、河川水が堤防表法面から、あるいは堤防の基礎地盤を通って下方から、堤体内に浸透するため、堤体の土粒子間の空隙が次第に水で飽和されて、浸潤線が上昇していくが、浸潤線の上昇は土のせん断抵抗を減少させるとともに土の重量を増加させるため、裏法分の浸潤線がある程度以上の高さになると、堤体の土質、形状、強度(地盤内にパイピング孔が存在しかつこれが崩壊した場合にはこれにより地盤の強化が弱化するが、このような経過によって強度が低下しているか否かも含む。)などその安定性如何によっては、裏法面という斜面において、ある面でのせん断応力がせん断抵抗より大きくなることとなり、裏法面でのすべりが発生するに至ること、以上の法すべりの発生機構からすると、浸潤による法すべりを発生させる原因は浸潤線の上昇であり、右法すべりに影響を与える要因は堤防の安定であること、そして、この浸潤線の上昇に寄与する要因としては、堤体上に降った雨の量及びその継続時間、河川水の水位と洪水の継続時間、堤体の土質構造、堤防基礎地盤の土質構造などの各要因が考えられ、また堤防の安定にかかる要因としては、堤防の形状、パイピング孔の存在及びその崩壊による地盤の強度の弱化を含めて堤体及び基礎地盤の土質構造などの諸要因が考えられること、以上の事実が認められる。

よって、前記すべりを発生させる要因の内、浸潤線の位置についてまず判断し、本件破堤原因について順次検討する。

二  浸潤線の位置について

1  本件においては、破堤前に長時間高い水位が継続しており、かつこの間に堤体上に多量の降雨があったから、本件堤防では浸潤作用が相当進んでいたことは容易に推測されるところである。

そこで、浸潤線の上昇の程度について判断するに、前記認定の事実によれば、九月一二日午前七時三〇分ころ約二メートルのポールを亀裂に差し込んだところ、たやすく全体に入っていったこと、午前一〇時ころには裏小段全体が一メートル近く沈下していたところ、中央部付近の大きな亀裂の中には濁り水が泡とともにみえたこと、更には丸池に沿って杭を打った際、中央部上流より付近では数回打つだけでたやすく杭が打てたことが明らかであり、これらの事実を総合すると、浸潤線は裏小段の下あたりでは、かなり浅いところ(表面から二メートル以内の高さとも考えられる。)まで浸潤線が上昇していたものと推測できる。

被控訴人らは、裏小段下付近における浸潤線が前記のような高いところまで上昇していたことを争い、亀裂の中の水や泡は約八〇メートルに及ぶ長い亀裂の全てにみられたのではなく、極く限られた局所的な部分にしかみられなかったのであるから、亀裂より上の堤体法面の表面を伝って、もしくは堤体に浸透した水がにじみだして溜ったものであると主張するが、前記認定のとおり、本件破堤箇所では、同日前記認定七時二〇分以降は雨は降っておらないうえ、亀裂の一部にしか水が染みださなかったとしても、堤体内の土質が全く一様でないと考えれば、浸潤線の上昇も一様にはならず、一部にしか水が染みださない場合もあるのであって、最も浸潤しやすい箇所において浸潤線が上昇していたと考えることに不合理はない。

<証拠>には、このように高い位置まで浸潤線が上昇したとするならば、裏法面において浸潤による法すべりが発生する前に、法尻部分の土にボイリングが生じ、これにより破堤してしまうとの記載があるが、その計算根拠は不明であり、右認定を左右するものではない。

また、裏小段より裏法尻にかけての浸潤の位置について、被控訴人らは、浸潤線が上昇した場合はその下側では土が軟弱化し水が染みでる現象が通常みられるところ、破堤前犬走りは固く、裏法尻付近に水が染み出ていなかったから、浸潤線は前記認定のような高い位置にまで上昇していなかったと主張し、また<証拠>には、破堤前犬走りは固く、裏法尻付近に水が染み出ていなかったことからみて、浸潤線は、裏法尻付近で下降しており、裏法面にまで達していなかったとみるべきであるとの見解が示されており、松野は同証言において、このような浸潤線の形状になった原因として次のようなことが考えられること、すなわち、表小段付近は旧堤の天端に相当し、これより上は昭和改修によってかさ上げした新堤部分であってその境界面には改修時のトロッコの線路敷とされバラストが撒かれた部分があり、この部分は浸水係数が極めて大きく、本件洪水の水位が表小段を越えた時間中同所から堤体内に河川水が浸透し、浸潤線を押し上げたからであるとか、前記第二の六で認定したとおり本件破堤箇所の上流端付近の天端表肩に、破堤当日の午前二時ころ雨裂が生じ崩落があったところ、この部分から河川水が堤体内に進入したとか、これらの水や降雨の浸透水が堤体内の旧堤法面に沿って滞留したために、浸潤線が上昇したものであるとかの考えを述べている。

なるほど、前記昭和改修の経過と地質調査報告書を総合すると、本件堤体内には、旧堤が内包され、旧堤部分は表法面に開口していたこと、破堤後の堤防断面には、旧堤の天端の上にあたる部分にレキ混じり部分がみられたことが認められる。しかしながら、右レキ混じり層が松野が述べるように浸水性が高いとの点については、同人が排水機場の改修の際に見たとの点はそれと本件堤防のものをにわかに同一に論ずることができるものか否か疑問があり、そもそも浸潤堤築堤工事において、バラストを撒いたような事実を認めるに足りる証拠はなく、<証拠>によると、「レキ混じり部」は旧天端付近にのみあり、かつ旧堤の堤防粘性土にめり込んで存在していることが認められるから、松野が推定するほど浸水性が高いものではないと認められるし、また、本件破堤箇所の上流端付近の天端表肩に破堤当日の午前二時ころ生じた崩落部分から侵入した河川水が右浸潤線上昇の原因であるとの点についても推測にすぎず、これを直ちに認めるに足りる証拠はないのであって、松野らの主張する浸潤線のような位置形状となる原因は認め難い。

ところで、前記認定のとおり本件破堤時直前まで法面からの水の染み出しや法尻の軟弱化のような事実は確認されておらず、かえって犬走りは固かったとの原審における被控訴人坂要本人の供述もあるが、同供述にいう固かった犬走りの位置は不明であり、これによって犬走りがすべて固かったとは断定することができない。そして、<証拠>によれば、一般に、十分な浸潤時間を経過すれば、特に法尻部に浸水性の低い層が存在するといった特殊条件がないかぎり、浸潤線は表法側から裏法尻にかけて緩やかに傾斜していくのが普通であると認められるところ、地質調査報告書によれば、新堤部分はほぼ均質なシルト質の砂質土で構成されていて、本件堤防法尻部分に浸水性が低い層が存在するというようなことはないことが解るから、本件堤体内の浸潤線も表法面から緩やかな勾配となっていたと考えるのが合理的であること、かように解するとしても、堤体土の浸水係数はそれほど大きなものではないから、浸潤線より下の法面に水が染み出すとしても、極めてゆっくり微量の水が染み出すだけであり、本件堤体が雨により濡れていたことを考慮すると、染み出しを発見できなかったと解するのが相当であって、本件破堤時直前まで法面からの水の染み出しや法尻の軟弱化のような事実は確認されていないことは、浸潤線の位置に関する前記認定を左右するものではない。

更に、<証拠>には、本件堤体が丸池に接していることが、浸潤線の上昇を早めたものであるとの見解が述べられているが、<証拠>によれば、平常時においては池の水位は地下水位と同等であり、池に接しているからといって地下水位より浸潤線が高くなるものではないことが認められるから、洪水時において丸池の水位の上昇が早かったとしても、丸池の水位は堤内側全体の内水位と比較してさほど高くはないと推測されるのであって、この点を取り上げて浸潤線の上昇の原因を丸池の存在と関連づけるのは相当ではない。

2  そして、控訴人の援用する<証拠>によれば、同報告書が設定した本件堤防の地質断面モデルと土質定数等を用いてなした浸透流解析の結果では、基礎地盤に難透水性層の不連続があると仮定し、堤体上の降雨を考慮した場合には、九月一二日午前五時から同日午前一〇時にかけて裏小段の表面から二メートル以内の高さまで浸潤線が上昇する結果となるというのであり(図表Jの1参照)、これが正しければ、前記現象面に基づく浸潤線の位置は解析によっても裏付けられることとなる。よって、以下右解析が前提とした条件及び解析の方法について検討する。

(一) まず、本件堤防には堤外側の表法面から堤体中央部にかけて旧堤部分が内包されており、本件堤防の表法面の内、表小段の上端(高さ約九・三メートル)以下の部分は旧堤の堤体部分に相当するのであるから、河川水位が本件堤防の表小段の高さより低い段階では旧堤の堤体土の透水係数(これは基礎地盤の難透水性層の透水係数と等しいと考えられる。)によって解析をなすべきであり、旧堤の存在を無視し、水位が低いときから、河川水が本件堤防の表法面から新堤の堤体上(その透水係数は2×10のマイナス3乗cm/sec)に浸透することとなっている解析結果は実際より高い浸潤線をもたらすこととなると一応考えられる。しかしながら、<証拠>によれば、建設省報告書が旧堤の存在を考慮の外におき堤体内部を新堤の堤体土の透水係数を有する均一なものとして解析をなしたのは、旧堤の存在を考慮して浸透流解析を行なうことはその当時の土質工学の方法上困難であったためにすぎず、そのようにしてなした建設省の解析の結果によると、本件洪水において洪水の始まりから破堤時までの間には、堤防の表法面から浸透した河川水だけでは堤体の中央部から裏法尻にかけての部分の浸潤線はほとんど上昇せず、旧堤の存在の有無は堤体の中央部から裏法面にかけての浸潤線の高さにはほとんど影響を及ぼしていないこと、右部分の浸潤線の上昇の程度は基礎地盤からの浸透水の量に大きく左右され、基礎地盤の難透水性層が不連続である場合には極めて浸透量が多く浸潤線が高くなることが認められるのであって、このことに、本件堤防の堤体の内部に存する旧堤の堤体部分は、透水係数が小さく基礎地盤の難透水性層の不連続部分を通ってきた浸透水も容易に浸透しないことからすると、基礎地盤からの浸透量を同一とした場合には、旧堤部分がない場合に比べ、堤体の内、浸潤可能な範囲が旧堤の堤体部分だけ小さくなり、透水係数の高い新規の堤体土部分の浸潤線の上昇の度合いを増すことになると思われることを考慮すると、旧堤の存在を考慮しなかったからといって、その解析結果による浸潤線が不当に高い位置まで達しているという結果とはならず、この点の現状との不一致は解析結果の妥当性を損うものではない。

(二) 次に、建設省報告書が堤体土の透水係数を2×10のマイナス3乗cm/secとしていることの妥当性について検討するに、被控訴人らは、応用地質調査事務所が行ったオーガー法現場透水試験結果(図表[1]の2)、室内透水試験結果(図表[1]の1)に比較して透水係数が大きすぎるとか、粒径に基づく透水係数の概略値(図表[1]の3)の内勘案したという微細砂は堤体土の内には一〇パーセント程度しか含まれておらずこれによるのは不適当であるとか主張するが、<証拠>によれば、透水係数はもともとかなりの幅を持って変化するものであり、本件堤体砂質土の密度は一・三四から一・三八t/立方メートルに最も乾燥密度の値が集中するとされているところ、乾燥密度が小さくなればなるほど透水係数が大きくなる傾向があること、図表[1]の4からこれらの密度に対応した堤体土の資料の透水係数は概ね1~2×10のマイナス3乗cm/sec程度になると認められ、更に現場の透水性は一点毎の室内試験値に比べて高めになりがちであることが認められるところ、これを勘案すると、室内透水試験結果の内でも大きめの値である2×10のマイナス3乗cm/secを採用したことはあながち不相当であるとはいえない。

(三) そこで、基礎地盤の難透水性層に不連続な部分があるとの点の妥当性について判断する。

<証拠>によれば、控訴人が難透水性層の不連続を想定した理由は、

(1) 模型実験や堤防モデルによる浸透流解析の結果、図表Jの1のとおり、基礎地盤の難透水性層が連続しているモデルにおいては、いずれの場合も浸潤線の上昇の程度は少なく、本件についていえば堤防裏小段の下二メートルの高さ程度まで上昇することは考えがたいのに対し、その不連続を仮定したモデルにおいては、浸潤線の上昇の程度が極めて大きいこと、

(2) 本件破堤箇所においては堤内側と堤外側の上部粘性土の分布状況に特異性がみられること、

これらのことから不連続があった可能性があるというにあり、<証拠>によれば、(1)の模型実験の結果と浸透流解析の結果が控訴人主張のとおりであることが認められ、右模型実験の方法、浸透流解析の手法には特段問題はないと認められる。

そこで、破堤後に現われた本件堤防の地盤に基づき、本件破堤箇所の基礎地盤に難透水性層の不連続があると推測することの可否を検討する。

地質調査報告書及び原審証人大矢暁の証言によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件破堤箇所の基礎地盤の内、丸池上流端から下流にかけ堤防縦断方向に幅約四〇メートルの範囲、すなわち図表Gの1の7測線、8測線付近に該当する範囲は、本件破堤によって大きく洗掘されたが、右範囲以外の周辺の基礎地盤の地質分布状況は次のとおりである。

すなわち、右周辺部分の地盤においては、概ね、最下層に海成粘性土層が分布し、その上に沖積層である砂質土層(透水性)が分布し、更にその上に粘性土(難透水性)の表層(以下上部粘性土という)が分布している構造となっており、堤防縦断方向における地質分布は比較的連続性が高いこと、また、堤防の横断方向の地質分布をみると、堤内側と堤外側では上部粘性土の分布状況が異なっており、堤内側上部粘性土は層厚が四ないし五メートル程度で、層の下面がおおむねマイナス一ないし二メートルより深い位置であるのに対し、堤外側上部粘性土は層厚が二ないし四メートルと薄く、その下面の高さも二・二メートル程度の高い位置にあること、しかしながら、右各粘性土は堤防表法面直下の位置で旧堤築堤前の自然地盤(その上部は約三メートル、下部はおよそマイナス二メートル弱の位置にある。)を介して接合しており(因みに、堤内側上部粘性土が堤内側の砂層へと指交状に変化している図表Gの1の9の測線の断面においてすら、右粘性土の上部と堤外側粘性土と接合していることが確認されている。)その接合部分に接してその上部には粘性土の旧堤部分が位置しているのであるから、周辺の基礎地盤においては、旧堤部分を含めて考えると表層の難透水性層が連続していたものといえること、

(2) 丸池上流端から下流にかけ堤防縦断方向に幅約四〇メートルの範囲、すなわち図表Gの1の7測線、8測線付近に該当する範囲は本件破堤時に大きく洗掘され、上部の土が流出したため、その地質分布状況が不明であること、もっとも、洗掘後も残存した堤内側の地盤をみると、最も洗掘の激しかった本件破堤箇所中央部に該当する図表Gの1の7測線においても、裏小段肩下付近(堤防天端裏肩から約一三メートル)の位置までマイナス二・二一メートルの高さに上部粘性土が残存していることが確認されており、破堤前はこれより堤外側に向かって上部粘性土が延びていたと推測ができ、図表Gの1の天端表肩からそれぞれ三五メートルと四五メートル西方のボーリングナンバー<12>と<13>地点の上部粘性土の下端はマイナス五・五七メートル、マイナス六・〇二メートル(その上端は不明である。)であること、他方、堤外側上部粘性土はその上、下流の周辺部分と同様に表法面直下付近まで分布していたものと推定できる上、旧堤部分が堤外側粘性土に接して約三メートルから上の高さに、少なくとも堤防天端裏法肩直下付近まで残存していたと推定できることから、右7測線の断面において、堤防横断方向に、旧堤部分を含め表層の難透水性層が存在していたかどうか不明である範囲は平面的には狭い範囲に限られること、更に、右丸池が存在した箇所に相当する洗掘箇所の堤内側上部粘性土の分布状況は前記のとおり、上、下流部に比べ、いわば下方にへこんだ形で低い位置に分布している点においてその上、下流部とは大きく異なっており、また、右箇所において堤外側上部粘性土と堤内側上部粘性土の位置が大きく上下に食い違っていることが認められるのである(図表Gの2参照)。

そして、以上のような上部粘性土の分布状況の特殊性は丸池の生成原因に関係しているとみられるので、以下これを検討する。

前記認定のとおり、本件破堤箇所はもともとは森部集落の懸廻堤の一部であったが、同集落においては下流部に属し、尻無堤のころには無堤部分であったと推定され、この箇所に築堤されたのは比較的後期であったと推測されるところ、そのころの堤防がそれまでに堆積した粘土質の自然地盤(前記約三メートルの位置に存する地盤はこれであると推測される。)の上に築堤されたものであることは明らかである。

ところで、堤防が洪水で切れた場合には、流入した河川水によって堤防地盤及び堤防直近の堤内外地が深く洗掘され、洪水の流入が止んだ後に洗掘部に残存した湛水部(押堀又は落堀といわれる。)ができ、新たな堤防はその湛水部を避けて、迂回して築堤されることが多いところ、本件破堤箇所の堤防に沿って堤内側に存在した丸池は、以下の理由により、押堀であったと認められる。

すなわち、<証拠>によれば、丸池については古くから切れ所であるとの伝承があり、古い記録によれば安八町内の堤防が切れて池ができたとの記述もあり、丸池の近くには郷倉あるいは護倉とよばれる水防倉庫が置かれていたこと、本件破堤箇所の小字名「畚場」の「畚」は治水工事用の道具である「もっこ」を意味すること、昭和改修によりその東側部分が埋め立てられるまでは丸池はもう少し堤防敷側まであり、旧堤は旧丸池を避けるようにして川側へ張り出し迂回していて、前記の破堤地形に該当する形状をしていたことが認められる。

また、<証拠>によれば、丸池の池底に該当するボーリング地点の上部粘性土の下端は、図表Gの1、2のとおり、ナンバー<11>地点においてはマイナス三・三六メートル、<12>地点においてはマイナス五・五七メートル、<13>地点においてはマイナス六・〇二メートル、<15>地点においてはマイナス三・五八メートルとなっており(その上端はナンバー<11>がマイナス一・四一メートルであり、その他の地点は本件洪水により洗掘されたため不明である。)他の堤内側の地盤の上部粘性土の下端、すなわち、ナンバー<3>地点のマイナス二・〇六メートル、<8>地点のマイナス一・〇五メートル、<14>地点のマイナス〇・四五メートル、<19>地点のマイナス三・〇七メートル、<24>地点のマイナス一・五九メートルと比較して明らかに低いところに位置することが認められるのであって、このことは丸池部分が過去に洗掘された経歴があることをうかがわせる。

更に、前記認定のとおり、本件破堤箇所に最初の堤防として森部輪中堤の一部が造られた際には、同所に形成されていた自然堤防の上に土を盛り上げてこれを造ったと推測できるところ、障害物の存在等特別の事情がない限り、自然堤防が狭い範囲で一部分だけ大きく曲がって形成されたり、その上に造られた堤防が大きく曲がって造られるようなことはなく、ほぼ直線に形成され、造られたと考えるのが相当であって、本件破堤箇所において、右のような特別な事情が存在したとは認めがたいから、同所において、自然堤防やその上の堤防はほぼ直線であったと推測される。ところで、地質調査報告書及び原審証人大矢暁の証言によると、本件破堤後の破堤口の上、下流の断面には、標高約三メートルあたりを上端とする自然地盤(自然堤防と解される。)が、それぞれ本件堤防に内包されている旧堤の裏法面の下あたりに存在し、上、下流にみられる自然地盤をほぼまっすぐに結んだ位置は、旧丸池内に該当すると認められるのであって、このことからすると、丸池が形成された後においては、丸池の幅に沿った部分では自然地盤は流出し存在していなかったものと解する余地が十分にある。

以上の各事実を総合すれば、丸池は押堀であると認めることができる。

以上の事実からすると、丸池に相当する堤内側上部粘性土の分布の特殊性は、過去に砂質土層が破堤により洗掘されてへこみが形成された上に徐々に上部粘性土が堆積した結果(池底に沈澱したいわゆるナメ泥もこれの形成に寄与したと考えられる。)であり、丸池の上、下流部分にみられる堤内側の上部粘性土とは一部生成を異にすることによるものであると合理的に解釈できる上、更には、本件破堤箇所については、過去の破堤の際の洗掘の結果、自然地盤が流出しており、上、下流部分のように堤外側と堤内側のそれぞれの上部粘性土と接合すべき自然地盤がないこととなるから、当該部分では上部粘性土が連続していない可能性が十分想定できるものといわなければならない。

以上のとおり、少なくとも前記洗掘箇所については難透水性層が連続していなかったとの想定が十分可能としなければならず、そのような想定には合理性がある。

右に反する<証拠>は採用できない。

3  浸潤線の上昇が堤防の安定に与えた影響

本件洪水時には本件破堤箇所の堤体は、浸潤し、浸潤線の位置は前記認定のような高さにあったところ、前記認定、説示からすると、浸潤線がこのような高さになった要因は、河川水位の高さとその継続時間及び堤体への降雨量並びに基礎地盤中に難透水性層の不連続があったためであると認められるところ、これらの各要因の存在によって堤体の安定性がどの程度損われたかを検討する方法のひとつとして、土質工学円弧すべりによる安全率の算定による方法があるが、この安全率とは、すべり面上のせん断応力の和とすべり面上のせん断抵抗の和との比、すなわち滑ろうとする力と滑りに抵抗しようとする力の比を意味し、安全率が一以上で大きければ大きいほど安定していること、安全率が一であることは滑ろうとする力と滑りに抵抗しようとする力とがかろうじて釣り合っている限界の状態を示し、安全率が一より小さいことはその想定したすべり面でこの釣合が崩れ、すべりが生じ得ることを示すものである。このことから、最小安全率が一を下回るかどうかによって破堤の可能性を判定することも可能である。

本件において、前記諸条件によって、安全率がどのように変化するかをみるに、<証拠>によれば、

(一) 昭和三六年六月洪水の場合と比較すると、洪水の水位の高さ及びその変化並びに継続時間により(難透水性層は不連続で堤体上の降雨は無かったものとする。)、昭和三六年六月洪水のときの最小安全率は一・一二であるのに対し、本件洪水時には最小安全率は一・〇七となり、〇・〇五小さくなる。

(二) 本件洪水時に、堤体上の降雨の有無によって安全率を比較すると(難透水性層は不連続であるとする。)、降雨がないと仮定したときは最小安全率は一・〇七であるのに、本件降雨の場合には最小安全率は〇・九六であり、〇・一一小さくなる。

(三) 本件洪水、堤体上の降雨を前提として、難透水性層が連続していると仮定した場合には最小安全率は一・三であるのに対し、その不連続の場合には最小安全率は〇・九六程度で〇・三四小さくなる。

との解析の結果(図表Jの1、3ないし6参照)が記載されており、これによれば、難透水性層が不連続であったこと、堤体上に降雨があったこと、本件洪水の水位が高くかつ継続時間が長かったこと、これらがいずれも安全率をより低下させた要因であったと認めるのが相当である。

もっとも、安全率は、透水係数や浸潤線の位置のみならず、土のせん断強度定数等の他、計算方法如何によってその数値が算出されるものであり、後記認定のように、建設省報告書が計算の前提としたせん断強度定数、すなわち内部摩擦角、粘着力の値については問題があり、問題のある数値によって導かれた前記安全率の数値自体には問題があるが、上記のようにある条件の違いによって安全率が低下する度合いを知るという意味に限って、前記結果を評価することの意義は当然あるのであって、これまで否定してしまうことはできない。

三  浸潤破堤について

1  前記認定によれば、本件降雨、洪水の規模程度が大きかったことが、本件堤防の基礎地盤に難透水性層の不連続があったこととあいまって、浸潤線を前記のような高い位置まで押し上げ、これが堤体の不安定性を増加させたのであり、かかる意味において、浸潤線の上昇が本件破堤の要因の一つであることは明らかである。

控訴人は、現象面、安定解析の結果の両面からみて、浸潤線の上昇によって破堤に至ったことが明らかになったものであるというのに対し、被控訴人らは、本件洪水による浸潤線の上昇は、本件破堤に至らしめるようなものではないと主張する。

よって、安定解析と現象面との両面から、浸潤のみを原因とする破堤とみることの是非について検討する。

2  浸潤破堤の可能性の有無

(一) <証拠>によると、いわゆる浸潤法すべり、浸潤破堤の発生機構は次のようなものであること、すなわち、堤体の浸潤線が上昇した場合には、土の飽和度が増加するところ、これにより土の重量が増加しせん断応力が増加する一方、間隙水圧が上昇してせん断抵抗を減少させるが、これらによる安定性の低下に増して、土のせん断強度、特に粘着力が急激に低下することとなるのであって、これが安定性の低下の支配的なものであることが、土質工学上の知見として明らかにされてきている。

(二) 控訴人は、建設省報告書に基づき、安定計算の結果、図表Jの1ないし6のとおり

(1) 本件洪水時には九月一二日午前四時ころ安全率一を割り、破堤時ころの同日午前一〇時には最下安全率が〇・九六となる円弧すべり面が存在したことが判明した。

(2) 洪水継続時間が短く、堤体上への降雨もみられなかった昭和三六年六月洪水の場合には安全率は一より上であって、昭和三六年六月洪水で破堤しなかったのに本件洪水では破堤したことが説明できた。

(3) すべり面は丸池にはかかっておらず丸池が本件破堤には関係がないことが明らかになった。

と主張し、<証拠>は右主張に符合する内容となっている。

ところで、<証拠>によれば、右安定計算は、浸潤線の高さ、堤体及び丸池底の形状は堤防法先に一七メートルの平場が存在していることにしている(この点はすべり円弧が平場にかかっているとした場合には、安全率を大きくする方向に働く。)他、堤体土のせん断強度定数については、株式会社応用地質調査事務所が行なった三軸圧縮試験による測定の結果(試料番号、試験方法、各側圧及びこれに応じた主応力差、間隙水圧の各値は図表Kの1のとおりである。)によって作図したモール円から目視法によって各測定毎の粘着力C’、内部摩擦角φ’の値を読み取り(その読み取り結果は図表Kの1の「建設」欄記載のとおり。)試料S-2についてのCU試験の結果をせん断前密度γ°dで整理した結果から、同密度一・三八t/立方メートルにおける粘着力C’は〇・一t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三二度となったとし、安全率の計算にはいわゆる簡便法(別紙計算式集の式1)を採用してなしたものである。

しかしながら、試験によるデータから最も近似の数値を決定する方法としては、そのデータが回帰する式が判明している場合には、最小二乗法によって求める方が精確であることはいうまでもなく、<証拠>によれば、三軸圧縮試験によるせん断強度定数の試験データについては、横軸に圧力を、縦軸に粘着力C’の値をとった座標系において、主応力差の二分の一と側圧(CU試験については側圧から間隙水圧を引いた値)との合計を中心とし、主応力差の二分の一を半径として作図したいわゆるモール円の共通接線(直線の式)の縦軸との交点が粘着力C’、その傾きがtanφとなる関係にあるというのであるから、各試験値に異常値と目すべきものがないか否かを考慮しながら、最小二乗法による結果を算定し、これを検討するのがより精確な値を得る方法であると考えられる。

<証拠>によれば、本件においてモール円の共通接線から読み取るべき値(殊に粘着力C’の値)はグラフの上では極めて小さい値であるから、目視法による読み取りによっては誤差が避けられない場合と認められ、現に地質調査報告書が行なった読み取りは正確にモール円を作図した結果によっても明らかに誤差が大きく、もとより最小二乗法によって算定した値とも大きくかけ離れているのであって、到底採用できるものではない。控訴人は、実際に測定した者が判定するのが正確であると主張するが、本件において前記のように読み取るのがより相当であることを首肯するに足りる説明は本件全証拠を精査するもこれを見出しえない。

<証拠>が採用した粘着力C’、内部摩擦角φ’の値は、以上のとおり目視法による読み取りにおいて既に難点があり、粘着力C’、内部摩擦角φ’の値の決定に関する被控訴人らのその余の主張について判断するまでもなく、<証拠>によっては粘着力C’が〇・一t/平方メートル、内部摩擦角φ’が三二度であったと認めることはできない。

(三) そこで、本件堤体土のせん断強度定数に関する山口の見解について検討をすることとする。

山口鑑定書によれば、山口が、地質調査報告書の三軸圧縮試験に基づくデータから最小二乗法により求めた各試料の粘着力C’、内部摩擦角φ’の値は、図表Kの1の「山口」欄記載のとおりであり、試料S-2についてCD試験、CU試験による各粘着力C’、内部摩擦角φ’の値をせん断前密度γ°dにそれぞれ対応させてプロットした関係は図表Kの3のとおりであって、右プロット図から読み取るとせん断前密度γ°d一・三八t/立方メートルにおける粘着力C’は〇・三ないし〇・四t/平方メートル、内部摩擦角φ’の値は三三ないし三四度であり、山口補充書その一において、試料C-1ないし3についてのCD試験、試料S-2のCD試験、CU試験による各粘着力C’、内部摩擦角φ’の値を初期乾燥密度γ°dにそれぞれ対応させて最小二乗法によって算定した結果(図表Kの4ないし8)によれば、粘着力C’、内部摩擦角φ’の値は、これを多少低めに算定しても前記の値以下ではなかったとしている。

しかしながら、山口の上記見解には次のような問題がある。

(1) 試料S-2についてのCD試験結果中初期乾燥密度γ°d一・五五t/立方メートルの場合については、三つのモール円しかないのに四つの円があるものとして最小二乗法による計算がなされていることは計算結果からみて明らかなところであって、その結果には問題があり、三つの円を基にして最小二乗法によって算定した結果は内部摩擦角φ’三二度一七分、粘着力C’二・〇二t/平方メートルと訂正されるべきである。

(2) せん断前密度γ°dが小さくなればなるほど粘着力C’、内部摩擦角φ’の値が小さくなるはずであるのに、右プロットした図表Kの3をみれば明らかなように、試料S-2のCU試験では、せん断前密度γ°d一・四七t/立方メートルの粘着力C’の値はせん断前密度γ°d一・五七t/立方メートルの粘着力C’の値より大きく出ているほか、内部摩擦角φ’に至っては密度との法則性が全く見出せないほどばらつきがある。

(3) 試料S-2の初期乾燥密度γ°d一・五五t/立方メートルについて粘着力C’をみるに、CU試験の値と前記のように訂正したCD試験の値は大きくかけはなれている。

(4) 試料C-1ないし3のCD試験の値はほぼ同一の密度における試料S-2の試験の値とも大きくかけ離れているのであって、このような結果となることについての合理的説明は、本件全証拠によるも見出し難いのである。

これらのことからすると、少なくともこれらの問題のある値については試験結果の妥当性を疑い、再検討するか、あるいはこれらをもたらしたと思われるデータを棄却するなどの作業が必要であろうと考えられる。

そこで、右最小二乗法の計算の数値となった地質調査報告書の三軸圧縮試験結果の値を再検討してみるに、試料S-2についてのCU試験結果中初期乾燥密度γ°dが一・五五t/立方メートルの場合について、側圧一・〇kg/平方センチメートル、一・五kg/平方センチメートル、二・〇kg/平方センチメートルの三つのモール円につき最小二乗法によって求めた共通接線による粘着力C’はマイナス〇・三六五t/平方メートル、内部摩擦角φ’は四一度四四分になるのであって、この場合が三つの円をそれぞれ組合せた他の場合と比較して値が極めて大きくかけ離れているのであって、このことは右三つの円の内のいずれかが異常値である可能性を推測させるものであって、この場合には四つのモール円につき単純に最小二乗法を適用することに問題があることを示しているといわざるをえない(なお、試料C-2についての山口の粘着力C’、内部摩擦角φ’の値は単純に四つのモール円について最小二乗法によって算定した値ではなく、測圧二・〇kg/平方センチメートルの場合のモール円が異常に小さいことからこれを考慮して値を決定したことが推測され、山口自体単純に最小二乗法を適用するのは妥当でないことを認めている場合がある。もっともその算定過程は明確ではなく、四つのモール円によって求められる粘着力C’、内部摩擦角φ’と側圧二・〇kg/平方センチメートルの円を除いた三つのモール円によって求められる粘着力C’、内部摩擦角φ’の平均をとったと推測されないではないが、このような方法の妥当性には問題なしとしない。)。因みに、側圧一・〇kg/平方センチメートルの円を棄却すると粘着力C’は〇・五三t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三七度六分、側圧一・五kg/平方センチメートルの円を棄却すると粘着力C’は〇・四二九t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三九度三二分、側圧二・〇kg/平方センチメートルの円を棄却すると粘着力C’は〇・八三七t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三二度五八分となり、以上の三つの場合の平均は粘着力C’は〇・五九九t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三六度一二分となるのであって、粘着力C’は〇・五t/平方メートルから〇・八t/平方メートルまでの間で、内部摩擦角φ’は三三度から三七度の間にあるものとみるのが妥当である。

また、試料S-2のCD試験中初期乾燥密度γ°dが一・五五t/立方メートルについての前記のように訂正された粘着力C’の値、すなわち二・〇t/平方メートルはほぼ同密度のもとにおけるCU試験の値や、初期乾燥密度γ°dが一・六五t/立方メートルにおけるCD試験、CU試験の各結果に比較すると大き過ぎるといわざるをえない。

(四) 以上の問題点を考慮して、試料S-2についてのCD試験、CU試験結果の値をプロットし直し、密度が小さくなればなるほど粘着力C’の値が小さくなる傾向を考慮して、図表Kの3にならって粘着力C’の回帰曲線を引いてみるとしたならば、せん断前密度γ°dで整理した場合には、同密度が一・三八t/立方メートルのときの粘着力C’の値は、〇・二t/平方メートルから〇・三t/平方メートル程度になるものの〇・一t/平方メートルにまでは至らず、初期乾燥密度γ°dで整理した場合には、同密度が一・三八t/立方メートルのときの粘着力C’の値は、〇・三t/平方メートルから〇・四t/平方メートル程度になるものと解せられ、以上の結果からすれば、本件堤体土の粘着力C’の値は〇・二t/平方メートルないし〇・四t/平方メートル程度とすることが相当であり、内部摩擦角φ’については試料S-2についてのCD試験、CU試験の値を総合すると、本件堤体上の内部摩擦角φ’は三二度ないし三三度程度とすることが相当であると認められる。

以上の認定判断については、次のような点で控訴人の主張とも山口の見解とも異なるので、これらの点について説示を加えることとする。

まず、控訴人は、本件堤体土のような砂質土については、完全に水が排出されず間隙水圧が発生するからCD試験結果の値は考慮できないと主張するが、<証拠>によれば、CD試験法、CU試験法とも粘着力C’、内部摩擦角φ’を知るための試験法であって、それぞれの試験法によって得られたせん断強度定数はほぼ同一の値となることが知られているというのであって、控訴人が主張するように試料が砂でない場合には試験の際完全に排水されず間隙水圧が発生するのを免れないとしても、この点を考慮に入れればよく、試験結果が限られている本件においてより精確な粘着力C’、内部摩擦角φ’を得るためには、試験結果が多いのにこしたことはないと考えられること、以上のことからすると、CD試験結果は一切これを考慮しないというのは相当ではないと解される。

次に、試料C-1ないし3のデータを考慮しなかった点において山口の方法とは異なるが、地質調査報告書によれば、試料C-1ないし3については、試料を一定の密度に突き固めたうえ側圧を変化させた計測しかなされておらずデータの数も試料S-2より少ないし、前記のとおり試料S-2についてなされたほぼ同密度の場合の数値と大きくかけ離れた結果となっているのであるから、これらの数値を試料S-2の結果と同等なものとして扱うのは適当でなく、試料S-2についての傾向との比較にとどめおくのが適当と判断し考慮の外におく方がむしろ相当である。

また、試料S-2のCD試験、CU試験の各試験データから求められた粘着力C’、内部摩擦角φ’のプロットから一・三八t/立方メートルの数値を読み取ることについて、これを最小二乗法によらなかったのは、その回帰する式が明白でなかったからにほかならない。因みに、右データが直線の式に回帰するものとした場合、せん断前密度γ°d一・三八t/立方メートルにおける粘着力C’がマイナスになることは明らかであり、このことはそのような式に回帰しないことを示している。

ところで、前記認定判断は粘着力C’につき、せん断前密度γ°dによって試験結果をプロットした図における回帰曲線から、同密度γ°d一・三八t/立方メートルの値として読み取ることのできる値を最低値としたものであるが、これは、破堤時の安全率を算出するためには、飽和した土が破堤時の際の密度の下で有していたせん断強度定数を求めるのが妥当であるところ、<証拠>によると、これを端的に計算計測することは不可能であることが認められ、このことからすると、試験の際に圧力を加える前の試料の体積とこれが破壊したときの体積の変化率に基づき算定される密度、すなわちせん断密度の平均値をもって、破堤時の際の密度とほぼ等しいものとみなし、その条件下におけるせん断強度定数を整理することも一つの相当な考え方であると認め、これによったものである。山口は、山口反論書その一において、このようなせん断前密度γ°dは、それぞれの試験毎に加えられた圧力によって変化するものであってその数値自体には意味がなく、ましてやこれが破堤時の密度に等しいというようなことはできず、初期乾燥密度γ°dのみによって試験結果をプロットして一・三八t/立方メートルの値を取るべきであるという。なるほど、山口証言、山口反論書その一によれば、土質工学の実際において初期乾燥密度γ°dにおいて整理する方法もとられていることが認められる。しかしながら、試験において加える圧力にはそれ相当の限度があるし、せん断前密度γ°dの平均値が試験の回数を増せば増すほど変動するというようなものとも考えられないから、せん断前密度γ°dによる整理が意味がなく相当でないとの見解は採用できない。

(五) 安全率について

<証拠>によれば、粘着力C’を〇・一t/平方メートル、〇・二t/平方メートル、〇・三t/平方メートル、〇・四t/平方メートルとし、内部摩擦角φ’三二度と三三度と組合せて簡便法、簡易ビショップ法(別紙計算式集の式2)によって計算した場合の最小安全率及び最小安全率を示す円弧は図表Lの1ないし11のとおりである。

ところで、被控訴人らは、事後的解析においては、より精確な値を求められる簡易ビショップ法、簡易ヤンプー法等による方が妥当であって、簡便法は使用すべきでなく、図表Lの1のケース1、2、4、5の各場合(前記認定のとおり、本件の場合粘着力C’が〇・一t/平方メートルであるとは認められないから、図表Lの1のケース3の場合は除外される。)の簡易ビショップ法による安定計算の結果は、いずれも安全率は一・二以上であるから、安定計算の結果では、浸潤破堤はありえないと主張する。

なるほど、<証拠>によれば、簡便法が簡易ビショップ法や簡易ヤンプー法に比べて低い安全率を出すことは土質工学上広くいわれていることであって、このため、より安全なものを構築することが要請される設計段階においては、簡便法がよく用いられていることが認められ、破堤原因の探求のための事後的解析に簡便法を用いることについては問題がないわけではなく、図表Lの1のケース4において簡便法によって安全率が〇・九五となっているからといって、本件破堤が浸潤のみによる破堤があったことの積極的な証明があったとはいえない。

しかしながら、現実の土の状態は、ひとつの場所をとってみても、そこに含まれる土自体はもちろん、その存在する深さによって、その粒度、土質定数、更に飽和度などがすべて一律でないことはいうまでもないうえ、前記粘着力C’、内部摩擦角φ’の決定においてみたとおり、現存する土について土質定数を得ようとしても、その試験結果には相当のばらつきがみられるのが現実であって、試験方法の適切さと試験結果の評価を一義的に決めることは困難で相当のばらつきが出るのもいたしかたない状態であり、データの持つ法則性すら十分に解明されているわけではないのである。このような状況においては、本件のごとく洪水で流失して現存しない堤体の土についてこれを行うのはきわめて困難であることはいうまでもない。これに加えて、土質工学がすべりの要素についてすべて計算に取込むことができる段階にまでは至っておらず、すべり面の想定についても、単純化(実際のすべりが円弧であることはなく、計算の結果が円弧と仮定した場合と大差がないことと計算の容易さから円弧としているにすぎないのである。)しなければ計算不可能で、未だ複雑なものは解析ができないという段階であること、しかも、具体的な安全率の計算において入力する数値についても入力者によって差異があり、結果にもこれが反映すること、以上のような諸々の限界が存することが弁論の全趣旨から認められるのである。

これらの点を考慮するならば、安全率の算定について精度が高いと評される方法(簡易ビショップ法、簡易ヤンプー法)を用いたからといって、それゆえにこれが現実により合致するとは必ずしもいえず、実際において簡便法を用いた結果が現実に合致する場合もあるのであって、簡便法の使用は妥当を欠くと必ずしもいえないのである。

以上に述べた安定解析に関わる諸々の限界を考慮すると、安定解析の結果算出された安全率の数値についても、一を割ったか否かで厳密に区別するよりは、更に検討の幅を広げ、破堤の可能性がまず否定されると評価してよい程度の数値であるか否かが重要であるというべきである(<証拠>によると、前記土質工学の限界を前提にして、最近では、安全率を破壊の確率によって評価するという考え方が提唱されている。)。

そして、<証拠>によれば、斜面構造物を設計する場合においては、低めの安全率を示すといわれる簡便法によって計算して安全率が一・〇ないし一・二の場合であっても、安定ではあるが多少不安があるとされ、通常は一・二以上にすることにされていることが認められ、原審証人久楽勝行も山口も同旨の証言をなしている。このことからすれば、簡便法によって一・二より大きな安全率の値が出た場合は破堤の可能性はまず否定できるが、それ以下の場合にはこれを否定できず、破堤の可能性も考えられるというべきである。

そうすると、前記図表Lの1のケース1、2、4、5の簡便法による安全率はすべて一・二以下であるから、破堤の可能性を否定するに足りる数値であるとまではいえないのである。

(六) 以上のように、安定解析の結果によっては、本件破堤が浸潤破堤であったとの積極的証明はないが、浸潤破堤であった可能性も完全には否定できないところ、破堤の形態からみても、これと評価に至らざるをえない。

すなわち、<証拠>、当審証人山村和也によれば、同証人が経験した阿武隈川における浸潤法すべりにおいても、また、本件破堤原告の解析のためになされた模型実験においても、浸潤法すべりは極めてゆっくりしたスピードですべりが進行していくというものであって、本件のような非常に大きなすべりが一気に起こったことはなく、本件において経験を超えたすべりが起こった事は間違いがないというのである。また<証拠>によれば、破堤に至る程度まで浸潤が進行した場合には、法尻辺りがいわばドボドボの泥寧状態となると考えられるところ、<証拠>によれば、本件においては軟弱化の事実は否定できないものの、そのような泥寧状態にまではなっていなかったと認められる。

もっとも、本件において経験を超えるようなすべりが生じた原因については、以下のように考えることも可能である。

すなわち、本件破堤の直前には裏小段の付け根付近において二条の亀裂が生じていて、裏小段以下の部分が沈下していたところ、<証拠>によると、図表Lの12のとおり、裏小段に深さ一・五メートル程度のクラックの存したことを考慮した場合には、堤体土の粘着力C’を〇・三t/平方メートル、内部摩擦角φ’は三三度として簡易ビショップ法によって計算した安全率は〇・九七となり、大きく低下することが認められ(右に反する山口補充書その一の見解(図表Lの12参照)及び山口反論書その一、同その二の見解は、亀裂の位置次第によっては亀裂が入った方が安全率が増すというような内容であり、にわかに採用し難く、前記認定を覆すに足りるものではない。)、このことからすると、浸潤によるすべりが進行して亀裂が大きくなったような段階では不安定さが増して、よりすべりの進行が速くなったとも考えられる。

更に、図表Jの3、図表Lの6、7によれば、粘着力C’を〇・一t/平方メートル、内部摩擦角φ’を三二度とした場合には、裏小段にすべりの上端がかかる最小危険円より小さい安全率を示す円弧が裏小段より下の裏法面の浅いところにみられるところ、<証拠>によれば、浅いところにおけるすべりは堤防の表面の芝草などによって阻止され、そのようなすべりではなくより深いところにおける円弧で最初のすべりが生じることが考えられ、そのような場合にはすべりが唐突な印象を与えることがあると認められ、このような現象が図表Lの1のケース1、2、4、5の場合においても考えられないわけではない。

以上のようなことからすると、本件破堤の現象を浸潤破堤によるものとして理解することも可能である。

(七) 以上のとおり、安定解析と現象面のいずれによっても、本件破堤が浸潤のみを原因として起こったものであるとの積極的な証明はなく、浸潤に加えて更にすべりを助長するような他の要因が加わって破堤に至ったものと考えるのが相当である。もっとも浸潤のみによって破堤した可能性を完全に否定することができないことはこれまでに述べたとおりである。

四  本件破堤時の本件堤防の安定性について

1  以上によれば、浸潤に加えて更にすべりを助長するような他の要因が加わって本件破堤に至ったものと考えるのが相当であるところ、被控訴人らは、本件破堤箇所の堤防は不適切な新堤築工事によってすべりを起こしやすい構造となっていたとし、第一次的には、本件堤防がこのような不安定な構造を有していたために、堤防の基礎地盤に発達していたパイピング孔が本件洪水時に崩壊して堤体に不同沈下が生じたことが引金になって、一挙に安定性を失い破堤に至ったものであり、そうでないとしても、本件堤防がこのような不安定な構造を有していたために、前記認定の程度の浸潤線の上昇によって、堤体の安定性が損われて破堤にまで至ったものであると主張する。そこで、新堤築堤工事の結果、被控訴人らが主張するような構造であったか否かについてまず判断する。

2  大正の末ころから昭和五年ころにかけて、木曽川上流改修計画に基づきいわゆる昭和改修が行なわれたが、その内容は、前記のとおり、旧丸池の東部部分を埋め立て、もっぱら旧堤堤内側法面に腹付けし、旧堤の堤外側を削り取って、堤防法線を整正するものであって<証拠>によると、新堤築堤の工法は、上流の河道から採取した土砂を積み込んだ土運搬車三〇輌を重量二〇トンの機関車が後押しの方法で本件築堤箇所まで運搬し、これを堤防の上から下に撤き出す方法(いわゆる高撤き工法)で行なわれ、順次池側に線路を移動して埋立工事がなされたのであるが、盛土と旧堤防の堤体土との馴染みをよくするため、段切り、草の除去が必要なところ、これらが十分になされなかったことや、丸池内に土止め工事がなされず、撤き出した土の締め固めは機関車や土運搬車による締め固めくらいしかなされなかったため、撤き出した土が固まらず丸池内にすべり、その上を通っていた工事のための土運搬車が転落する事故が少なくとも二回起こり、また、完成後一、二年たって、丸池内の盛土が沈下したため、更に土を盛る工事がなされたことが認められる。

3  丸池の池底の形状

被控訴人らは、土止め工事をしなかった結果、丸池の水際から池底にかけての傾斜はかなり急勾配であったと主張し、<証拠>にはこれに沿うような部分があるが後掲証拠に照らしてにわかに措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

<証拠>を総合すると、前掲図表Eのとおり、昭和五〇年九月に撮影された航空写真によれば、その当時、本件堤防の犬走り部分から丸池中央部にかけて、天端裏肩から約三二メートルの位置あたりまで幅六メートル前後の範囲で葺が繁茂し、更に、前記葺の生育する部分の内側に接して南北の方向では北東の堤防沿い部分を除きほぼ丸池の幅一杯に、かつ東西の方向では堤防沿いの部分に関しては幅約八メートル前後にわたり水生植物が繁茂していたことが判読でき、右植物はヒシであることが認められるところ、前掲各証拠によれば、葺は通常水際の地上部分あるいは水深二〇センチメートル程度の浅いところ、深くても一メートルまでの浅い池底などに生育するものであり、また、ヒシは、水面下から水面まで茎が伸びた後放射状に分岐し群生域を形成するので、葉がみられる範囲の限界部分の直下までが水深二メートル未満であるとは直ちにいえないものの、濃尾平野においてはヒシは通常水深一メートルより深く二メートルより浅い水深部分に生育するものであること、丸池の北東端部分には葺やヒシがみられないが、同所付近は上流から流れてきた排水が管で丸池へ流入するところであり、このような水の流れがあるようなところにはヒシが生育しにくいこと、以上の事実が認められるから、右葺の繁茂している部分は水深二〇センチメートルほど、深くても一メートル未満の深さ、ヒシのみられる部分の大部分は水深二メートル未満であり、葺やヒシがみられない丸池の北東端部分もほぼ同様であったと推認できる。

また、地質調査報告書によれば、本件破堤後の昭和五一年一二月に実施されたボーリング調査の結果からすると、丸池が堤防と接する東側の南端から約二〇メートル上流側で天端表肩から西方四五メートル(丸池水際から約一二メートル西方)の位置の地盤(図表Gの1及び3のボーリングナンバー<11>地点)には一・四四メートルの高さに新堤築堤の際に池に押し出されたと思われるシルト質細砂が洗掘されずに残っていることが認められるところ(図表Gの2参照)、前記のとおり丸池の平常水面高さは三・八メートルであるから、少なくとも右地点の水深は二・四メートル以下であったと推測され、この事実も、右水生植物の繁茂していた部分も水深二メートル未満の浅い部分であったことの裏付けとなる。

この点につき、<証拠>によれば、輪之内町の日比池及び道前池において行ったヒシの生育状態の調査を行なったところ、水深四メートル前後の深さのところまで「ヒシ」が生育しており、茎の長さも五メートルほどあったこと、他にも同程度の水深部分でヒシが生育していたとの報告例があることが認められるが、<証拠>によれば、右両池に繁茂していたヒシは、戦後復員者によって中国から持ち込まれ、栽培されるようになったトウビシであって、丸池に生育していたわが国在来のヒシとは異なる種類のものであることが認められることに徴して、右調査結果をもって、丸池内のヒシの生育する範囲の水深が二メートル以上であったとはいえないし、ヒシが水深二メートル以上の池にも生えていたとの文献の記載は、山の中の池など特殊な条件の下であったか、又は単体として生育できる例を引き合いに出しているにすぎないから、丸池など濃尾平野において一般にみられるヒシの群生には当てはまらないし、ヒシの茎の長さと水深とは必ずしも結び付かないから、ヒシの生育しているところの水深をそのヒシの茎の長さと同程度であると推測することは相当ではない。結局<証拠>は右認定を左右するものではない。

また、葺は丸池の中に投棄されたゴミの上に生育しているとの松野証言は、単なる意見にすぎず、にわかにこれを採用することはできない。

次に、ヒシが生育していない丸池の中心部分の水深について判断するに、前記認定のヒシの生育限界からすれば同所は二メートルより深いと考えられるところ、その深さを直接に認定するに足りる証拠はない。

もっとも、<証拠>によれば、本件破堤後に排水した際現われた地盤面の状況は図表Gの3のとおりであって、これによると、7測線においては、ヒシの生育範囲と丸池中心部との境(同測線上ヒシの生育範囲の最西端)付近の高さはマイナス一メートル前後でそれより西方丸池の中心部に向っては浅くなっていることが認められるのであるから、仮に、右地盤面を丸池の底であると考えるならば(右地盤面は、本件洪水によって、池底表面部分が洗掘されてなくなっていて、池底面はもっと高かったとも考えられるし、池底面に本件洪水によって運ばれた土が上に堆積していて、池底面は更に低かったとも考えられるのである。)丸池の平常水位三・八メートルを基にすると、池底の深さは五メートル前後であったこととなるし、また、図表Gの1、2のとおり、ボーリングナンバー<12>、<13>、<15>の地点の上部粘性土の上端は洗掘されて不明ではあるが、マイナス二・五七メートルからマイナス一・四三メートルの位置までは残存しており、同<11>の部分における上端はマイナス一・四一メートルであるから、これより西に向うにしたがって水深が浅くなることを考慮すれば、丸池の中心部の池底面の標高がマイナス一メートル前後で水深は五メートル前後とみられないわけではない。

この点について、<証拠>には、天端の裏法肩から西方五〇メートルの範囲の丸池の水深は八〇センチメートル以内であったとの記載があり、また、控訴人は新堤築堤時に一七メートル位の平場を造った事実に照して右測量結果が正しい旨主張する。そして、<証拠>には、昭和四三年実測図の記載は実地に測量した結果に相違がないとの作成者の供述記載部分があるが、これによっても実測の具体的方法について判然としないし、新堤築堤時の平場の造成に関する<証拠>に照してにわかに措信できず、控訴人の右主張は採用できない。

本件堤防の法勾配と丸池の池底の勾配については以上のとおりであると認められ、右認定の結果からすると、池底の勾配は本件堤防の裏法面よりはるかに緩く、本件堤防と丸池底の比高差が被控訴人らが主張するように急であって、それ自体で不安定であったとは到底認められない。

4  丸池の池底の土質について

(一) <証拠>には、新堤築堤工事に際して、旧丸池池底に存在したいわゆるナメ泥を除去せず、その上に新堤腹付部分が乗る形になったため、旧堤裏法泥から池底にかけてナメ泥が極軟土層として存在することとなった。このことは図表Gの2のとおりボーリングナンバー<11>、<15>の地点に異臭を発するシルト質粘土層が存在することにより明らかであり、更にナメ泥は軟弱であって、水を含むとすべりやすくなり、堤体を不安定ならしめるものであったとの記載がある。

<証拠>によれば、丸池の底にはヘドロ状の泥が存在していたことが認められるところ、このことからすれば、旧丸池の池底にも、ヘドロ状の泥(被控訴人ら主張のいわゆるナメ泥)が存していたと推認できるところ、前記認定によれば、新堤築堤工事の際旧丸池の一部を埋め立てるにあたり、このヘドロ状の泥を除去せず、そのまま埋立工事をしたことが認められ、地質調査報告書によれば、図表Gの2のとおりボーリングナンバー<11>の地点のマイナス一・四一メートルからマイナス三・三六メートルの間及び同<15>の地点のマイナス一・四三メートルからマイナス三・五八メートルの間に異臭を発するシルト質粘土層があることが認められる。

しかしながら、<証拠>によれば、旧丸池の池底にあったというナメ泥は土質工学上ヘドロといわれるものと考えられるところ、ヘドロとは、含水比が非常に高く、単位体積重量が非常に小さく、強度がほとんどないものをいうのであって、このようなものは、埋立工事の際、埋立土(砂質土)が池岸から池底傾斜面に沿って投下されたことにより、池の中央へ押し出されて行ったと考えられ、このようなヘドロ状の泥がその場に層状をなして残存していたとはにわかに考え難いこと、粘性土層が異臭を放つことは、沖積層という比較的若い地質には通常よくみられる性状で、地質学的には特段珍しいものではないこと、以上の事実が認められ、この事実と前記認定のヘドロの形状とを考え併せると、前記異臭を発するシルト質粘性土層は、丸池ができた後に徐々に堆積した比較的新しい地層であると考えるのが相当であって、新堤築堤当時に旧丸池底にあったナメ泥の層であるとは認め難い。

(二) 以上によれば、丸池池底部分の粘性土が、被控訴人らが主張するようなナメ泥層とは認め難いが、被控訴人らは右粘性土は軟弱であり、水を含むとすべりやすくなるというのであるから、これにつき更に検討するに、<証拠>によれば、本件破堤箇所についてボーリング調査をした結果、図表Gの2のとおり、本件堤防裏法尻付近直下に該当するボーリングナンバー<11>、<13>、<15>の各地点における上部粘性土(シルト質粘性土)の、その相対稠度は「極軟」もしくは、「軟」、N値(後記のように土の固さの単位である。)は二もしくは三であることが認められ、右事実からすると、本件堤防内側基礎地盤には、その表層にN値が二ないし三の上部粘性土(シルト質粘土層)が存在していたことが認められる。

しかしながら、<証拠>によれば、N値とは、標準貫入試験により測定された土の強度を表わす単位であり、長さ八一センチメートル、外径五・一センチメートル、内径三・五センチメートルの円筒を三〇センチメートル貫入させるために必要な、六三・五キログラムの重さのハンマーを七五センチメートルの高さから落下させた回数をいうのであって、N値二の土ではその上で人が飛び跳ねても余り足跡がつかず、親指の貫入もかなり困難であり、N値三の土では親指の貫入さえ全く不可能となるのであって、相当の支持力を有しているものであること、一般に粘性土の硬軟を表わすのにN値によって六分類し、このうちN値が〇から二を便宜的に「極軟」と呼ぶものであって、地質調査報告書の相対稠度が「極軟」と言うのも同様に解すべきものであること、そして、濃尾平野のような沖積平野の地盤を構成する沖積層は、堆積の時代が新しいため団結度が弱く、N値は〇ないし五程度であり、N値が二ないし三の粘性土は、沖積平野に広く分布しているごく通常の固さの粘性土であること、因みに、地質調査報告書においてN値が三以下であるとされている上部粘性土は図表Gの2のとおりで、旧丸池池底に該当する部分以外にも広範に分布しており、N値が三以下である粘性土は旧丸池池底に該当する部分に特異なものとは言えないこと、また地質調査報告書で相対稠土が「極軟」と記述されている上部粘性土の部分は図表Gの2のとおりであり、この点も旧丸池池底に特異的なものではないこと、以上の事実が認められ、従って、地質調査報告書において相対稠土が「極軟」と記述されていることやN値が二ないし三であることをもって、軟弱地盤であるということはできない。

なお、河川砂防技術基準調査編において軟弱地盤調査を実施する必要のある地盤であるかどうかを判定する基準が定められており、右基準によれば、粘土地盤の場合、N値が三以下である地盤は軟弱地盤に該当するものとされていることが認められる。しかしながら、三木意見書によれば、右基準上軟弱地盤に該当するということは、必ずしも、当該地盤が堤防の安定に対し破堤につながるような著しい影響を与えるほど軟弱な地盤であることを意味するわけではなく、河川工事を実施する際に、もし必要であればその対策を講じるため、軟弱地盤調査を実施する必要がある地盤として指定することに意味があるにすぎず、それが堤防の安定に悪影響を及ぼす程度のものであるかどうかは軟弱地盤調査を待つ必要があると考えられる上、軟弱地盤の調査が必要とされるのは、軟弱地盤の存在が築堤中又は築堤直後において堤防のすべり又は沈下の原因となる場合があるからであり、築堤後堤防の重さによる軟弱層の圧密化が進んで堤防が安定した後においては、それが堤防の安定に悪影響を及ぼすことは少ないものと認められるから、築堤後五〇年近く経過した堤防の地盤のN値が二ないし三であるからといって右悪影響のある軟弱地盤であるとはいえない。

また、<証拠>によれば、右粘性土層の一部は丸池の池水に接しており、平常時でも浸潤しているから、平常時に比較して洪水時にすべりやすくなるようなことはないし、一度固まったものが自然の状態でドロドロになるようなことはないと認められる。

なお、パイピングによる池水のボイリングの振動により粘性土が揺変現象により軟化したとの主張については、後記のとおり丸池内にパイピングがあったかどうかは疑問であり、仮にあったとしても、そのボイリングが揺変現象をもたらすようなものであったとの立証はなく、弁論の全趣旨によれば、かえってこのような現象は極めて稀であると認められるから、被控訴人らのこの点に関する主張は採用できない。

5  旧堤との接合について

また、被控訴人らは新堤築堤に際して、旧堤の段切り、草の除去が十分に行なわれず、更に、転圧が不十分であったため、堤防の旧堤との接合が十分でなく、その境界ですべりやすいという欠陥が生じたと主張するところ、右工事後の一、二年の間にそのような事態が生じたことは前記認定のとおりであるが、後記認定のとおり、その後右指摘の欠陥によるとみられるような変状が生じたとの事実は認められず、工事後五〇年近くの間の堤体自体の重さによる自然転圧がなされたことなどを考慮すると、前記の工事方法の不適切さが本件堤体の安定性に悪影響を及ぼしていたとは認め難い。

6  以上によれば、本件堤防につき、丸池の存在により他の箇所より比高差が大きいとか、新堤築堤工事の工事方法が杜撰なために、新堤がすべりやすいナメ泥の上に乗ったとか、軟弱地盤の上に乗ったとか、新堤と旧堤の法面に馴染みがなくすべりやすかったとか、堤体が不安定であったとの被控訴人らの主張は理由がない。

なお、<証拠>には、丸池を埋め戻さず放置したことにより、経年的に堤体法尻部分が丸池内にすべって欠けていき、池の中の法面は水中安息角三二度の急な傾斜となっていたこと、旧丸池の底に堆積したナメ泥もしくは上部粘性土がかっこうのすべり面となったこと、簡易ヤンプー法もしくは簡易ビショップ法による安全率を算定すると、本件破堤直前に一を割る結果が出、それ以前に丸池を埋め戻した場合には、はるかに安全率が高くなるので、丸池を存置させたことが本件破堤の原因であるとの見解が述べられているが、前記認定のように、丸池の池の中の長良川堤防側の勾配が鵜飼、松野らが主張するように急であるとは到底認められないのであるから、そのことからして既に採用し難いうえ、鵜飼、松野の安定計算はそのような極めて不安定な法面を前提にする計算であるにもかかわらず、やっと安全率が一を割る程度であるというのであるから、前記認定の堤体法尻部分及び丸池の池の中の法面の状態の下では安全率が一をかなり上回ると推測されるのであって、丸池の埋め戻しの有無との比較を論ずるとしても安全率が一を割らない状態でのより安全な場合同士を比較するにすぎず、本件の破堤原因の探求に直ちに関係付けることができないから、右見解はその余の点を判断するまでもなく、採用できない。

五  パイピング破堤について

1  被控訴人らは、本件破堤箇所の基礎地盤には丸池の底を出口とし川側に延びるパイピング孔が発達しており、その上の地盤は弱体化していたところ、本件洪水によりパイピングが加速度的に拡大、進行して孔が崩壊し、法尻附近の地盤に陥没による不同沈下が生じた、その結果堤体の安定性が害され、本件法すべりが起き破堤に至ったものであると主張する。

このように、本件破堤に基礎地盤漏水、すなわちパイピングが影響しているとの考え方は、山口鑑定書他で山口柏樹が述べる見解の他に、国土問題研究会長良川水害総合調査団の見解(国土研報告書、同検討書に明らかにされている。)、岡本雅美の見解(<証拠>)があり、昭和五一年一二月当時建設省土木研究所に属していた土屋昭彦らがまとめた「台風一七号による長良川災害調査報告書」(<証拠>)にも、「堤内地への漏水により地盤の軟弱化の可能性があったこと」としてパイピングが破堤原因の一つとして考慮されうるとの見解が述べられている。

そして、被控訴人らの主張か主として依拠する山口見解によれば、パイピング破堤のメカニズムは、これを要約すれば、

(一) 一般に、堤内側の表土が難透水性層に覆われ、その下に透水性の砂層が存在する場合には、洪水時の高水位によって生ずる水頭差エネルギーに応じて堤防の基礎地盤中の透水性層の地下水の水圧が高まり、堤内側に向けての流れが生じるところ、その上向き流れの浸透力が上部の難透水性層の土砂の自重(水中重量)より大きくなったとき表層土の膨れ上がり破壊が生ずる。長良川沿いの地方ではこのような表層土の膨れ上がり破壊はガマと呼ばれている。

(二) ガマを通る水の流速が透水性層の土粒子を動かすに足りる速さであれば、透水性層の土がガマから排出され、地下透水性層内の水の流れに沿って川側に向って孔(パイピング孔という)が発生する。

(三) パイピング孔は、土のアーチ作用により崩れずに残り、洪水の都度拡大、進行する。

(四) パイピング孔が崩れたときには、その上の地盤に陥没が起こり、その部分のせん断強度が低下し、堤体に法すべりが発生する。

以上のようなものであることが認められる。

よって、以下前記(一)ないし(四)の順序に従って本件破堤をパイピング破堤とみることの可否について検討する。

2  丸池内のガマの存在について

(一) 被控訴人らは、丸池内にガマが存在したことが証拠上明らかであるというので、まずこの点から判断する。

<証拠>には、増水期に丸池にガマと思われる水の盛り上がりがみられたとの部分があるが、水の盛り上がりがあったとする時期、場所の具体性に欠けるうえ、水の盛り上がりはかなりの間隔をおいて上がるというのであって高水位時に生ずるガマと認めるには疑問があり、これによって直ちに丸池内にガマがあったと認めることはできず、また<証拠>には、伊勢湾台風の際、丸池沿いの犬走りに水が噴出するのを見たとの部分があるが、その水の噴出は、その態様からしていわゆるガマの噴出であると断定するには疑問があり、しかも、後記認定のとおり本件堤防の法尻部分においてガマが発生する条件はないといわざるをえないことからすると、ガマとは認めがたい。

被控訴人らは、次のような事実に鑑みれば丸池内にガマの存在したことは明らかであるという。

(1) 昭和改修の際やカイドリの際に水を完全に排水できなかった。

(2) 本件洪水時をはじめ、増水期には丸池の水位が堤外側の水位と連動した。

(3) 丸池の中心部には藻も生えず、冬でも氷の張らない部分があった。

(4) 本件破堤の直前に丸池内の水が動いて空缶が鳴った。

(5) 本件堤防修復工事の後に大量の泡が出てきた。

しかしながら、

(1)の点については、いずれの場合もそもそも水を全部排除しようとしたと認めるに足りる証拠はなく、カイドリの際の排水については、<証拠>によればほとんど水を排除できているのであって、排水が不可能であったような事実は認め難い。

(2)の点については、弁論の全趣旨によれば、本件災害の際の内水位の高さは安八町付近やその上流に降った降雨との関係が大きいものと認められ、外水位との連動関係を認めうる証拠はないし、このことからすると、他の増水期において内水位が外水位と連動したとの点についても、にわかにこれを認めることはできない。

(3)の事実は、これをもって直ちに丸池の中心部にガマがあったということはできない。

(4)の点は、丸池内で本件破堤直前にガマが噴いたことをうかがわせるものではあるが、弁論の全趣旨からすると、パイピング以外を原因とする法すべりの場合にもこのような現象が生じないとはいえないことが認められ、これをもってパイピングと関連付けなければ説明できないものではないと考えられる。

(5)の点についていえば、修復工事の際に埋立て等に使用した土砂等に含まれていた空気が出たと考えるのが相当である。

仮に、(1)、(2)、(3)のような事実からパイピングを想定すると、丸池内のガマと河川水との間にかなり大きなパイピング孔ができていたはずであって、本件破堤後に仮締切して排水した後に現れた池底面にその形跡が認められてしかるべきところ、<証拠>の中にそのような部分が認められるとの被控訴人らの見解についてはにわかに首肯しがたく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

以上のとおり、丸池内のガマの存在自体については、直接にも間接にもこれを認むべき証拠がない。

(二) もっとも、建設省報告書、地質調査報告書によれば、本件破堤箇所付近一帯は大垣自噴帯と呼ばれる地域に属しており、河川水が伏流水として地盤中に存在する地帯であり、ガマが発生しやすい土質構造、すなわち、河川の近くにあって上部と下部の難透水性の土層の間に透水性の厚い土層が挟まれている構造をしていることが認められ、<証拠>を総合すると、本件破堤箇所付近においては図表Pの長良川沿いの各堤防寄りの地点において、本件洪水をはじめ、昭和三大洪水など高水位が生じたときには大小いろいろなガマが発生するところがあること、また、その他、昭和二六、七年ころに旧丸池の一部とみられる部分(昭和三六年ころ埋め立てられた通称ひょうたん池)の中にガマが噴いたことや、昭和三四年九月の伊勢湾台風以後丸池の北東角の堤脚下の側溝内にガマが噴出したことがあること、以上の事実が認められる。

更に、前記認定のとおり丸池は過去の破堤によって洗掘されてできたいわゆる押掘であると認められるところ、<証拠>には、過去に破堤した箇所が地盤漏水を起こしやすい箇所の一つとしてあげられており、<証拠>によれば、押掘は堤防寄り部分が一番深く、そこにはガマが出ているとの記述がある。

そこで、以下ガマの発生の条件について検討し、丸池内にガマが発生する可能性の有無について更に審究することとする。

(1) <証拠>によれば、ガマの発生のメカニズムは、前記のとおり、堤内側の表土が難透水性層に覆われ、その下に透水性の砂層が存在する場合には、高水位によって生ずる水頭差エネルギーに応じて堤防の基礎地盤中の透水性層の地下水の水圧が高まり、堤内側に向けての流れが生じるところ、その上向き流れの浸透力が上部の難透水性層の土砂の自重(水中重量)より大きくなったとき表層土の膨れ上がり破壊が生ずるというのであるから、ガマ発生の可能性は、限界動水勾配icの方法により、浸透水の上向き浸透力(水頭差h/上部粘性土層の厚さDc)との土の水中重量((土粒子の比重Gs-1)/(1+土の間隙比e))を比較し、上向き浸透力が土の水中重量より大きくなるか否かを検討することにより可能であって(なお、三木安八証言、三木意見書には、土の水中重量と比較すべきものは地盤内の動水勾配(水頭差/透水性層の長さ)であるとの見解が述べられているが、ガマの発生の検討は浸透水の鉛直上向き流れであるから(水頭差/上部粘性土層の厚さDc)とするのが正しいと考えられる。)、本件破堤箇所付近におけるガマが発生する限界である上部粘性土層の厚さDcは次のようになると認められる。

ア 限界動水勾配icについて

地質調査報告書によれば、破堤箇所法尻の地盤上部粘性土(難透水性層)の間隙比eは一・三三ないし二・三七、土粒子の比重Gsは二・六八であり、限界動水勾配icは〇・五ないし〇・七二となる。

この点につき、山口は、<証拠>によると、実際には長良川の下流部での調査において限界動水勾配icが〇・二程度であったとの報告があり、本件の場合もその程度であることも考えられると主張するが、右調査事例は本件堤防と同じく長良川ではあるが、一五キロメートル以上下流での調査であって、本件破堤箇所の土が直ちに右と同様であるとは認め難く、限界動水勾配icの値は最も小さい値としても〇・五を採用すべきである。

イ 水頭差hについて

<証拠>によれば、堤体幅を六〇メートル、下部透水性層の厚さを八メートル、その透水係数を6×10のマイナス4乗m/sec、上部粘性土層の厚さを四メートル、その透水係数を1×10のマイナス8乗m/sec、河川水位一〇メートル、堤内側水位四・二メートル、両水位差五・八メートルの条件で、基礎地盤透水性層内の浸透水の流れを定常として計算した場合には、堤外側に難透水性層が一五〇メートルあり、法尻から堤内側一五〇メートルでhが〇となるとした場合の水頭差hは、堤体裏法尻部においては二・四〇メートルであり、水位差のおよそ四〇パーセント程度であり、法尻から離れるに従って水頭差の値は小さくなること(因みに、右計算の前提とした堤体の裏法尻から約一五メートルの位置、これは本件堤体を前提にすれば天端裏肩から約四〇メートルの位置にほぼ相当するものであるが、右位置における水頭差hは、約二・一七メートルとなる。)、基礎地盤の難透水性層の不連続の有無によってはあまり差がないと認められるのである(なお、山口は堤外側に難透水性層がないとした場合及び堤内側の難透水性層の長さが法尻から五〇メートルの各場所についてもそれぞれ水頭差を算定しているが、地質調査報告書によれば、本件堤防の堤外側にも難透水性層が存在し、また堤内側の難透水性層が法尻から五〇メートルを超えて存在することも明らかであって、そのような仮定は現実と符合せず、その結果は意味がない。)。

ところで、本件堤防付近では、後記のとおり、河川水位が表小段付近まで上昇したときにガマが噴出するといわれていると認められるところ、前記認定によれば、本件堤防の表小段の高さは九・三メートル程度であり、本件洪水時の内水位は四・二メートルであるから、水位の差は約五メートルである。そして、前記のように堤体裏法尻の水頭差は水位差の四〇パーセント程度であるというのであるから、この場合の水頭差hは約二メートルと考えられる。

なお、基礎地盤透水性層内の浸透水の流れを非定常とした場合には、九月一二日午前一〇時における堤体下の全水頭値は図表Mのとおりであり、上部難透水性層の上、下の水頭差hは堤体裏法尻部分で約二メートルとなり、右図から推すと天端裏肩から四〇メートル西方に位置する丸池中心部における上部難透水性層の上、下の水頭差hは一メートル程度とみられる。

ウ 難透水性層の厚さDcについて

前記アのとおり限界動水勾配icを〇・五から〇・七二とし、ガマ発生の限界であるDcの値を算定すると、前記イのとおり裏法尻においては水頭差hは二メートルであるからDcは二・八メートルから四メートルになり、天端裏肩から西方四〇メートルの位置については、水頭差hを一メートルとすればDcは一・三八から二メートル、水頭差hを二メートルとすると二・八メートルから四メートルとなる。

(2) ところで、<証拠>によれば、ガマが噴出したとされる丸池の上流、北側部分の側溝の上部粘性土の厚さは、約四メートル前後と推定でき、ガマが噴き得る可能性がある場所に該当するのに対して、丸池沿いの堤体法尻部分の上部粘性土はその上の新堤の堤体土を含めるとはるかに厚く、ガマが噴出する可能性はまず否定されるし、丸池の池底の上部粘性土の厚さも、ガマが噴出するか否かの限界にほぼ近い厚さであって、ガマが発生しやすい条件にあったとは必ずしもいえないし、本件破堤箇所付近の土地に比べて上部粘性土が特に薄かったとは認められず、少なくとも押堀はガマが噴きやすいとの前記一般論を丸池に適用することはできないのである。

すなわち、前記認定によれば、図表Gの1ないし3のとおり、

ア 丸池の水際の葦の成育しているあたりの水深は一メートル未満で池底の標高は三メートル弱と考えられるところ、ボーリングナンバー<12>地点の上部粘性土の下端の高さはマイナス五メートル強であり、これによれば上部粘性土(これのみでも洗掘された不明部分を除き三メートル以上はある。)と堤体土を合せて八メートル前後の厚さがあることになり、

イ ヒシの成育しているあたりの水深も二メートル未満で池底の標高は二メートル弱のところ、ボーリングナンバー<13>の地点の上部粘性土の下端はマイナス六メートルであり、ここも上部粘性土(これのみでも洗掘された不明部分を除き四メートル以上ある。)と堤体土を合せて八メートル前後の厚さがあることになり、

ウ これより西方の丸池の中心部分の池底の上部粘性土の厚さについては、これを的確に認定するに足りる証拠はないが、前記認定のとおり、地質調査報告書によって本件災害後の復旧工事のために仮締切りして排水した際に現われた地盤面の高さ(標高マイナス一メートル)を池底面と考え、また、前記のヒシの成育する範囲の上部粘性土層(下端はマイナス六メートル)が丸池の西方の図表Gの1、2のボーリングナンバー<14>の上部粘性土層(下端はマイナス〇・四五メートル)あるいは同<19>の上部粘性土層(下端はマイナス三メートル)あたりまでに西に行くに従ってなだらかに薄くなっていっておるとすれば、最深部付近でも四メートル前後の厚さの上部粘性土があったと推認できないわけではない。いずれにしてもガマ発生の限界である厚さDcの一・三八メートルから四メートル以下であった可能性も完全に否定することはできない。

被控訴人らは、丸池内の上部粘性土は池底に堆積したナメ泥が固まったものであり、また堤体土により圧縮されていないから、その間隙比eが小さく、同部分の限界動水勾配icは更に小さいものであったと主張し、<証拠>には、同旨の見解が述べられているが、このように推測する根拠を認めるに足りる証拠はなく、右は単なる可能性にすぎずこれを直ちに採用することはできない。

なお、旧丸池の最深部が新堤堤体の天端下部分寄りにあり、その部分に上部粘性土がなかったとしても、新堤築堤後は右部分は難透水性層の不連続となって浸潤線の上昇に影響を与えることとなったのは格別、これがガマの発生や発達に影響を及ぼしたと認めうる証拠は何もない。

(3) 以上のとおり、山口のガマ発生に関する解析と丸池の土質構造を総合考慮すると、丸池が押堀であったからといって、他の箇所と比較してガマが発生しやすい条件があったとはいえず、葦やヒシが生えていた範囲にはガマがまず発生しないものと認められ、ただ、ヒシの生育範囲より内側の丸池の中心部分においては、ガマの発生の可能性を否定しきることはできないということとなる。

控訴人は、仮締切して排水した際に現われた地表面にはガマの跡と目すべきものがみられなかったし、ボーリング調査の結果においても上部粘性土層は整っており、パイピング孔の存在したような痕跡はみられなかったとして、ガマの不存在が明らかであるというが、排水した際に現れた地表面にはガマの跡とみるべきものが認められなかったことは前記認定のとおりであるものの、地質調査報告書によっても、これが全くなかったとも断定することはできず、ボーリング調査がなされた地点は限られていて、丸池の中心部分についてはなされていないから、直ちに控訴人の主張するように断定することはできない。

3  ガマを通る水の流速及びこれによる土粒子の移動の可能性について

(一) 前記認定のとおり、丸池中心部においては、ガマが発生した可能性はこれを完全には否定できないところ、ガマを通る水の流速が透水性層内の土粒子を移動させる程度にまで至ったときは、堤体の安全性に影響を及ぼすこととなる。

ところで、前記第二の六、七で認定した事実に、<証拠>の結果を総合すると、本件破堤箇所付近において噴出した図表Pの長良川沿いのガマには、高水位が継続する間、特に河川の水位が堤防の表小段を越えるような高さまで上昇すると、土を含んだ水が勢いよく噴出し続けるものが多くあり、ガマから噴出した土が実際に水田に盛り上げられた状態(図表Pの検証地点<5>)や、噴出した土を盛って水田を畑に変えたところ(図表Pの検証地点<6>及び同<4>付近)もあることが認められ、水位が高かった本件洪水時には新たに土を含んだ水が噴出した箇所(図表Pの検証地点<1>、<3>等)もあることが認められるのであって、このような本件破堤箇所付近にみられたガマの態様からすれば、丸池内にガマが存在した場合には、同様に土を噴出した可能性がある。

(二) <証拠>によれば、山口は解析の結果、本件においてガマが発生した場合、ガマから噴出する水の流速は土粒子を動かすに足りる流速であり、また、ガマに集る水の流速も土粒子を動かすに足るものであって、透水性層内に川に向うパイピング孔が形成され、これが加速度的に発達するという。

すなわち、山口がガマの流速を求めた方法(別紙計算式集の式3)は、ガマを通る水の量はダルシーの法則とリリーフウェルの理論によってそれぞれ表わせるから、両方の値が等しくなるようなガマ底の水頭差を求め、これをもって水の流速を求めるというものであり、山口の計算結果によれば、堤防法尻に発生したガマ内の上向きの水の流速は、堤外側、堤内側の難透水性層の長さをいずれも一五〇メートルとし(堤外側難透水性層の長さを〇メートルにしたり、堤内側の難透水性層を五〇メートルとした場合は実際にあてはまらないと認めるので、そのようなケースの算定結果は考慮しない。)、堤内側難透水性層の厚さを四メートル、透水性層の厚さを八メートル、透水性層の透水係数を6×10のマイナス4乗m/sec、水位差五・八メートルとし、ガマの間隔を四〇メートル(丸池を中心とする上、下流約一〇〇〇メートルの堤防の区間には二三個のガマが記録されており、ここから平均間隔を約四〇メートルとしたという。)あるいは五メートル、ガマの直径を〇・一又は〇・三メートルと変化させて求めた流速は、最も控え目な条件としてガマに透水性層と同程度に砂が詰っているものとしても、層流の場合は〇・一cm/secより大きくなり、乱流の場合(粗度定数を〇・一とする)には、少なくとも一・〇cm/secを下まわらないものとなり(図表N参照、ただし、上から三ないし五段、すなわち、ガマ流速に*印のある欄を除く)、ガマ内に詰った砂の透水性が大きくなれば、流速も大きくなりその関係は、ガマ部の透水係数と透水性層の透水係数の比とほぼ同様の比で流速が増大する関係になるというのである。

一方、<証拠>によれば、本件破堤箇所の基礎地盤内の透水性砂層の土は粒径〇・五ミリメートル以下の土粒子が四〇ないし一〇〇パーセントを占めているところ、田中・久保田の実験値によれば、粒径〇・二五ないし〇・五ミリメートルの土粒子で構成される土の限界流速は〇・〇四cm/secとされており、ガマ内の流速は前記認定のとおりであって、明らかに限界流速を超えているから、土粒子が移動するというのである。

そして、ガマ部に流れ込む透水性層の水の流速もこれとほぼ同じであり、次々と土粒子が流出し、川側に向ってパイピング孔が発達するが、その先端においては浸透経路長が短くなる分進行は加速度的に速くなるという。

なお、前記の山口の解析は、すべて裏法尻においてガマが発生した場合のものであるが、右内容からすると、ガマが丸池中心部において発生した場合にも、同様にガマを通る水の流速は土粒子を動かすに十分であるというものと考えられる。控訴人は天端裏肩から西四二メートルの丸池中心部における水頭差が一メートルであるとして、別紙計算式集の式3のhを一メートルとして算出したガマの流速を算定しているが、山口反論書その一によれば、右式におけるhはガマ発生後の水頭差で、右式を解くことによって求められるべき未知数であって、ガマ発生前の水頭差ではないことが解るから、控訴人の算定結果は当を得ない。

以上にみたように、山口はガマをもって高水位が継続する間土粒子を次々と噴出し、地盤の透水性層中にパイピングを形成させる可能性のあるものであるというのである。ところで、弁論の全趣旨によると、ガマを通る水の流速を求めるために、ダルシーの法則とリリーフウェルの理論を関連付ける方法は、山口がはじめて本件において適用した目新しい方法であって、その有効性については未だ学会において必ずしも十分な検討を経ていないものと認められるが、本件証拠上、これに対する的確な反論、異論は見当らず、同方法については、前記認定のガマの実態を理論的に解析しようとした一試論としての意味はこれを掬するに吝かではない。

ところで、控訴人は、<証拠>に依拠して、ガマを通る水の流速は、透水性層内の動水勾配によって求められる浸透水の流速でしかなく、これはジャスティンの法則を適用して算出される本件透水性層の土粒子の限界流速以下であって、土粒子が移動することはないという。しかしながら、<証拠>によると、透水性層内の動水勾配によって求められる浸透水の流速は、堤体下の透水性層内の平均流速でしかなく、ガマが発生した場合、ガマの底部には水が集りその流速は大きくなるし、また、ジャスティンの法則は抵抗係数を二と固定したものであるところ、その是非については問題があり、抵抗係数は粒子の直径等によって定まるレイノルズ係数によって変化するものといわれていることが明らかであるから、本件において同法則によることは相当ではない。

また、ガマは圧縮された地下水の自噴にすぎず、一旦噴出すれば地下水の圧力が減少し治ってしまうもので、高水位が継続する間中、土を噴出するようなものではないとの<証拠>については、前記認定のガマの実現の現象形態や、山口反論書その一に照して採用できない。

4  アーチ作用及びパイピング孔の崩壊による安全率の低下について

(一) <証拠>には、一旦ガマが発生した後は、ガマに流れ込む地下水の流速はガマ部の流速と同じであるところ、その速さが土粒子を移動させるに足りる速度を持つ場合には、基礎地盤の透水性層中に川側に向ってパイピング孔ができるが、透水性層の土質いかんによっては、洪水が終っても一旦形成されたパイピング孔はアーチ作用によって崩壊することなく維持されるのであり本件堤防の基礎地盤の透水性層の土にもアーチ作用が働き、パイピング孔は維持されるとの見解を述べている。

この点に関して、控訴人は、本件破堤箇所付近の基礎地盤内の透水性層(砂質土)では、アーチ作用が働かず、パイピング孔が安定的に存在することはありえないと主張し、<証拠>には同旨の供述があるが、右については首肯しうる確たる根拠は見当らず、かえって<証拠>によって認められる次の事実、すなわち、本件破堤箇所より下流の長良川右岸堤防に沿った承水路にはパイピング孔と考えられる孔がみられるのであり、この事実からして、本件破堤箇所基礎地盤の透水性層の土が右パイピング孔のみられた土と同じくアーチ作用が期待できるものと直ちに断定はできないものの、だからといって、山口のアーチ作用に関する見解を無下に否定することはできない。

(二) 一般に、パイピング孔が崩壊し、その上の堤体土が沈下したような場合には、残留水圧が発生し、その部分のせん断抵抗を弱め、殊に堤防法尻部分が沈下した場合には堤体の安全率を低くする働きをなすことは十分に考えられるところ、<証拠>には、本件の場合、パイピング孔が裏法尻付近直下に進行してここで孔が崩れたときは、その強度が孔の崩壊前に較べて九〇パーセント減少して〇・一まで低下しないと堤体の安全率は一以下とならないが、パイピング孔が裏小段近くの直下にまで進行して同所で孔が崩れると、その強度が崩壊前に較べて五〇パーセント減少して〇・五まで低下しただけで安全率が一以下となるとの見解を述べている。

(三) 被控訴人らは、本件破堤前にパイピングによる堤体もしくは法尻の沈下などの変状があったと主張する。

(1) 田の沈下について

<証拠>によれば、堤体法尻と丸池の水際までの間には、当初森部財産区が所有し後に安八町に移された土地があり、戦前から昭和四三年ころまでは田として耕作されてきたこと、その広さは東西の幅約四ないし五メートルでその先丸池との境の幅五〇センチメートル位には葦が生えていたこと、三六年五月航空写真には田を区画していた道と思われる部分が白く写っており、右部分は黒く写っている水面とは異なる状態であり、地上に現れていたと判読することができるのに、三六年一〇月航空写真以後の写真には同部分が丸池の水面と同じく黒く写っていること、五〇年航空写真と比較検討すると田として耕作されていた部分はほぼ葦の生えている部分、すなわち、天端裏肩から約三一・五メートル程の位置に相当することが認められ、これと前記認定の事実、すなわち、昭和四三年測量の結果による丸池の水際は天端裏肩から二五・五メートルの位置であるということを総合すると、遅くとも既にこのころ、田の部分は大部分が水面下にあったこととなるのであって、以上のことからすれば、右部分は沈下したものと考えることができないではない。

しかしながら、三六年五月航空写真によれば同写真が撮影された時期は、比較的水位が低い時期であることが、同写真にみられる大江川、同川沿いに設けられた排水路の水の状態によって窺われるし、<証拠>が前記写真によって判読形成したという堤防断面図(図表F)によれば、そのころの丸池の水位は三・三〇メートルであるというのであって、同図が天端の標高を一二・六六メートルとして約一七センチメートル五〇年航空写真の判読結果より低くしていることを補正しても、五〇年航空写真の判読結果の丸池の水位三・七五センチメートルよりも約三〇センチメートル低い結果となり、航空写真による高さの判読には誤差が生じるのが避けられないことを考慮しても、三六年五月航空写真撮影当時の丸池の水位は他の時期より低かったと考えられること、また、昭和四七年六月に圃場整備事業のために測量された図(<証拠>)によれば、本件堤防の堤内側丸池付近の田には標高三・八メートル以下のものもところどころにあったことが認められ、これらの部分が田としての耕作ができたことからすれば、本件堤防の法尻にあった田も昭和四三年測量当時の丸池の水位三・八メートル以下であったと推認でき、現に昭和四三年ころまで同部分を耕作していた前記坂隆治の証言によれば、同部分が他の田より低く水が入りやすかったことが認められること、これらの事情を総合すれば、必ずしも前記田の部分がすべりもしくは沈下したと断定することはできない。

(2) 被控訴人らは、昭和三六年六月二五日ないし二八日の洪水により本件堤防の丸池沿い上流側二五ないし三〇メートル区間に対応する裏法小段のあたりが損傷を受け、補修工事がなされたことがあると主張し、<証拠>において中川鮮は、三六年一〇月航空写真に裏小段の付け根に沿って長さ約二〇メートル、幅約一・五メートルの白い物体が池側で約一メートル立上がっており、また約二〇本の丸い棒状の物体(両者とも図表Hの2の<16>部分)も観察されるとし、この白い物体の上流側の位置まで車の轍の軌跡が到達し、その下流側では車が方向転換したと思われる屈曲部がみられるとし、このことからして、これは損傷の修復のために杭を一列に打ち、その川側にプラスチックのニット製の白っぽい土のうを置いたものと推測することができるとし、同様の白い物体(図表Hの2の<17>部分)が法尻付近にもあるとし、また、<証拠>には、そのころ補修工事があったとの住民からの聞取りをしたとの記載がある。

しかしながら、<証拠>によると、今村遼平は三六年一〇月航空写真を判読した結果として、同写真にみられる裏小段付け根に沿った白色帯(図表Hの2の<16>部分)の表面は整っておらず、ささくれた連続状のものであってブロック状のものではないし、同白色帯の側面の黒い部分は白色帯の陰と地表面への影であり、この部分には杭のようなものはみられないし、更に、堤防裏法尻部の白色帯(図表Hの2の<17>部分)についても土のうとみるより、白色帯が堤防法尻部にすりつくようにみえることからむしろ枯草か裸地と推定されるとの見解を述べている。

右今村の写真の判読結果に、<証拠>によって認められる以下の事実、すなわち、図表Hの2の<16>部分の白色帯から下流に向かってできている轍の跡とされるものが補修工事の資材の運搬のために生じたものであるとするならば、他の一方は資材を供給できる地点まで通じていなければならないところ、右轍の跡は本件破堤箇所から下流側約一九〇メートルの地点で何等資材供給地点となりうる地点に至らないままとぎれており、資材運搬のために生じたものとはみられないことを総合すると、右白色帯をもって、堤防に損傷や補修工事があったことの微憑とすることはできない。原審証人堀敏男の証言によれば、当時家畜の飼料にするため本件破堤箇所付近で草刈が行なわれていたと認められ、このことからすると、中川鮮が指摘するものは、むしろ刈った草を干し草として小積みにしたものと推認されるのである。

なお、昭和三六年六月洪水による堤防損傷の復旧に関する地元民の陳情書(<証拠>)には、小規模の損傷についても記載されていることからして、詳細な調査の下に作成されたものと解されるにもかかわらず、右指定箇所についての記載はなく、もとより、復旧工事を行なう建設省の記録「木曽川上流三六年発生三七年発生災害実施計画及び変更調書」(<証拠>)にも当該箇所において復旧工事がなされたとの記載はないし、<証拠>によると、現実の水防活動にあたる地元民もそのような補修工事に従事したことはなかったことが解るから、前記国土研報告書の記載も措信できず、被控訴人らが主張するような損傷はもちろん補修工事があったとは認められない。

(3) 堤体の変状について

被控訴人らは、四三年航空写真からこのころ裏小段と犬走りの間で変状が生じたことが馬蹄形の植生の変化、法面の凹み(図表Hの1の<2>及び3の<19>、<20>部分)によって判読でき、五〇年航空写真によればこれが更に進んでいて、犬走りそのもの及び裏小段から犬走りに下る坂道が消滅したと主張し、中川鮮は<証拠>において図表Hの3の<19>、<20>部分の変状が四三年航空写真や五〇年航空写真から判読できるとし、松野は、<証拠>において、五〇年航空写真により図表Hの1の<2>部分の変状がみられる他、三六年五月、四〇年、四九年、五〇年の各航空写真によって、土砂の流出跡等によって、堤体のすべりが生じ、丸池沿いの堤体部分が順次丸池内に没し、欠けていった状態が確知できるとの見解を述べている。

しかしながら、四五年航空写真、<証拠>によれば、今村遼平は、図表Hの1の<2>の部分について、「<2>地点の小段の少し下に植生の低い部分があるが、草の丈の高いところも所々にある、地盤全体を直視できないところであり植生の低さイコール地盤の凹部とは判読できない。」とし、また、図表Hの3の<19>、<20>部分につき、四三年航空写真には植生の繁茂状況の差異はあるが、法面に中川の指摘するような植生の変化はみられず、五〇年航空写真の<20>部分も同様である、同写真の<19>部分も植生の凹部が直ちに地盤の凹部であるとは判断できないものであるとした上、除草された状態を撮影した昭和四五年撮影の航空写真により該当箇所の地盤には何等の変状はみられず、中川の指摘するような事実はないとの判読結果を述べており、これらの判読結果を參酌し、中川、松野、今村それぞれの写真判読の技術、経験を考慮し、四三年航空写真、四五年航空写真、五〇年航空写真を子細に検討すると、これらの航空写真から中川、松野の指摘するような変状を読み取ることは困難であって、そのような変状の存在は認め難い。

次に、松野のその他の変状に関する指摘についても、<証拠>を參酌し、四〇年、四四年、四九年、五〇年各航空写真を検討すると、松野の指摘するような変状を読み取ることは困難であって、特に松野が裏小段から犬走りに下る坂道が消滅したとする点についていえば、昭和五〇年一二月ころに堤防の丸池沿いにトタン塀が設置された工事の状況を撮影した写真であることの明らかな<証拠>によれば、右工事のころにも坂道が存在しており、形状が崩れていたような事実もないことが認められるのであるから、前記松野の見解は採用できない。

(4) 堤体の表法面の変状について

五〇年航空写真によれば、本件破堤箇所の上流付近に天端から表小段をとおり法尻に下がる道様のものが認められるところ、<証拠>には、右は堤体のすべりの跡であり、図表Hの1の<3>の部分には、すべりを補修したような兆候、すなわち窪地に二本の杭が打たれた状況がみられるとし、図表Hの1の<13>の部分には補修工事が行なわれたことによる道路中央の通行区分線の不規則な部分がみられる(同箇所付近には三六年五月航空写真に既にクラックの跡がみられた)とし、図表Hの1の<1>の部分は右すべりによる損傷がないかどうかを調べるためになした草刈跡であるとする見解が述べられており、<証拠>にも同旨の見解が示されているので判断するに、<証拠>によれば、図表Hの1の<3>の部分には黒い物体が地面より上にあるのであって、凹みではなく松野らのいうような補修工事の跡や杭とみるのは困難であると認められ、図表Hの1の<13>の部分についてもすべりの補修工事の存在とにわかに関連付けることは困難である(三六年五月航空写真から、同写真に松野が指摘するようなクラックを確認するのは困難である。)。

また、図表Hの1の<1>の部分についての松野の見解は根拠に乏しく、にわかに採用できない。結局松野の指摘するようなすべりが発生していたと認めることはできない。

(5) <証拠>には、図表Pの検証地点<4>の箇所でガマが噴き、本件洪水前の昭和四八年ころ、その東側堤防の法先に設けられた道路の擁壁が沈んだとの部分があり被控訴人らはこれは同所にパイピング孔が存在した証拠であると主張するが、右証言及び当審における検証の結果によっても、右道路の沈下が右箇所のガマと関連があり、その下にパイピング孔があったものと認めるに足りない。

(6) そして、<証拠>によれば、破堤前においてなされていた平常時及び洪水時の河川の巡視及び定期的な芝刈りの際にも、堤体の法崩れなどの変状が発見されたような形跡のないことが認められる。

以上のとおり、本件破堤前に崩壊による沈下が原因と考えられる変状がみられたとの主張は理由がない。

(四) 破堤状況について

浸潤法すべりであれば、非常にゆっくり法面が法尻から順次崩れるというすべりであるのに、本件の場合は、大きな土塊のまま一気にすべったことからして、浸潤のみを原因とするすべりではなく、本件法すべりの特徴からも堤体の地盤自体にすべりを生じさせる原因が他に存在したと考えるのには相当な理由があることは、前記認定説示のとおりである。

被控訴人らは、裏小段付近に発生した亀裂はパイピング孔が崩壊し、その上の堤体が不同沈下ないし陥没したために生じたものであり、本件すべりには、地盤パイピングの特徴が表われていると主張する。

なるほど、<証拠>からすると、パイピング孔の崩壊によってその上の堤体に強度低下部分が生じるところ、法尻に近い部分は堤防の安定にとってはすべりに抵抗する働きをもつから、その部分の強度の低下は著しく安全率を小さくし(図表Oの1ないし4参照)、ことに本件のように浸潤が高度に進みそれ自体で安全率が低下しているような状態でこのようなことが起きれば、一気に安全率が一を割ることのあることが容易に推測できるのであるから、以上のことからみて、急激でかつ大きな崩壊であった本件法すべりは、パイピング破堤の形態により符合するといえよう。

また、前記認定のように、第一次すべりの直前に丸池内の水が波立ち、空缶が鳴り、その後すぐに第一次すべりが起きたことから考えると、丸池底あるいはその付近で、ガマの活動やパイピング孔の崩壊等があったと考えられないわけではない。

なお、前記認定事実によると、破堤時には多数の住民が裏法面、特に、裏小段より下で本件堤防の補修にあたっていたが、上の方から落ちてきた土砂に当たって丸池内に落ちた一名を除きほぼ全員が自力で上流や下流に逃げているところ、このことからすると、まとまった土塊が沈下し、すべったと考えることができるが(もっとも、破堤直後の写真(<証拠>)に丸池の北側に設けられたトタン塀の南側に見えるまとまった土塊部分は、丸池東側に沿って造られていたトタン塀より丸池側部分が流水に押し流されたものと認めるのが相当であるから、右写真をもって法尻より上の土塊部分もまとまって落ちたことの根拠とすることはできない。)、前記認定のとおり、堤体土の土質の程度によっては、浸潤が進行していたとしても必ずしも常に軟弱になるわけではなく、まとまった土塊としてすべったことをもって、浸潤線の上昇の程度を否定できず、パイピング破堤であることの証拠とはなしえない。

更に、<証拠>によれば、図表Pの検証地点<6>の山田武男所有の田の付近は昭和四八年ころ埋め立てられた旧薬師池の付近であるが、本件洪水時にはガマが発生し土を含んだ水が噴出したうえ、本件破堤と同じころ、その東側の堤防の天端の中央より西寄りの位置に長さ五〇メートル以上の亀裂が入り、また裏法尻の道路の擁壁の一部が沈下し、これの補修工事がなされた事実が認められるところ、被控訴人らは、これをもって、ガマから堤体下に延びるパイピング孔が崩壊して道路に損傷が生じた例であると主張するが、前記の道路の亀裂や擁壁の沈下がそのような原因によるものであることは、右証拠によっても認めるには十分でない。

5  以上のとおり、パイピング破堤であると断定することについては、パイピング孔につきその堤防の横断方向においても、また縦断方向にもその位置がまったく不明であり、それが単一かそれとも網状か、その大きさはいかほどかも、不明である点において難点があり、結局本件破堤がパイピングのみによる破堤であるとの積極的証明があったとみることはできない。

もっとも、前記認定説示によれば、丸池内から堤防にかけてその基礎地盤内にパイピング孔が全く存在しなかったとの立証もなく、パイピングの存在及びこれによる破堤の可能性はこれを否定できない。

<証拠>は、パイピング破堤であればパイピング孔に沿って堤防の横断方向に沈下、亀裂が生ずるはずであるとして、本件がパイピング破堤であることを否定できると主張するが、<証拠>によって、パイピングによる破堤の形態も法すべりであり、本件のように堤防を横断する方向に亀裂が入ることも首肯できるから、右主張の点のみをもってパイピング破堤であることを否定できないのである。

六  破堤原因の結論

以上によれば、浸潤線が高い位置まで上昇して堤体を不安定にし、これが破堤の要因となったことは明らかであり、またその上昇の原因は、高い水位が長時間継続したこと、本件堤防上に多量の降雨があったこと、堤体の基礎地盤に旧丸池が押堀であったことに起因する難透水性層の不連続があったことによると考えられる。

そして、右浸潤のみによって破堤に至った可能性も否定できないが、同時にこれと競合してパイピング孔が存在し、これが崩落して堤体のせん断抵抗が弱化したため、浸潤線の上昇とあいまって破堤に至った可能性も否定できないのである。

また、新堤築堤工事に際して丸池の埋立て方法等が不適切であったことを原因として、堤体がすべりやすい構造を有していたとの点については、前記のとおりそのような事実は認められない。

第五  河川管理の瑕疵について

一  前記認定の破堤の要因中、高い水位が長時間継続したこと、本件堤防上に多量の降雨があったことは自然的条件であり、このこと及びその程度からして直ちに河川管理の瑕疵がないといえないことや、反対に直ちに瑕疵があるとか、瑕疵が推定できるとかいえないものであることは、前記第三において述べたとおりであり、本件では、基礎地盤の難透水性層の不連続、パイピング孔の存在が、河川管理の瑕疵の存否の判断上、一応問題となりうるのである。

前記第三でみたように、このように堤体又は基礎地盤の土質構造等に問題がありうることは、堤防の持ついわば宿命であり、その拡がりや複雑性のため事前にこれらの存在による洪水の影響をすべて予測することは困難であって、堤防はこれらの点をも考慮して安全なように造られてはいない。かかる欠陥に対する河川管理は、平常時や洪水時の巡視等によって、その都度、堤体の損傷などその兆候を発見し、危険性を予測し、改修、補修により危険な状態を除去することによって行なわれているものであり、本件において河川管理の瑕疵があったというためには、危険が予測可能であって、更に回避可能であったか否か、更には危険回避措置をとらないことが財政的制約など河川管理の諸制約からみてやむをえないものであったか否か等の検討を要する。

二  危険性の予測可能性について

1  <証拠>を総合すると、堤防に沿って押堀である帯水域が池として存在するような場合に、これが押堀であることから難透水性層が連続しておらず、その結果として浸潤線が高い位置まで上昇するようなことは、一般論としても、本件破堤以前には、河川管理者にも、河川工学、土質工学上も、これが問題とされたことはなく、本件破堤箇所についても、前記のとおりそのような兆候も以前には認められず、本件破堤原因の追跡、審究の過程において、模型実験や解析の結果初めて明らかになったものと認められる。

被控訴人らは、押堀は他の箇所に比較して破堤の危険性が高いと一般的にいわれているというが、弁論の全趣旨によれば、その危険性はその跡に不用意に築堤しないようにするという性格のものにとどまり、難透水性層の不連続により浸潤線の上昇の度合いが大きくなり危険となるというようなことと関連付けていわれていなかったことが明らかである。

右認定説示によれば、丸池が押堀であることを認識し、又は認識しうべかりしであったからといって、浸潤線の上昇を予測できたものとは考え難く、河川管理者において、これに対して何等かの対処(例えば、川側からの浸透水を遮断するために、堤防にそって堤外側に鋼矢板を打設するようなことが考えられるが、これが有効か否かは必ずしも明らかではない。)をすべきであったとはいえず、法律上の管理の瑕疵があったというのは困難である。

なお、<証拠>によれば、建設省報告書、山口がそれぞれ設定した土質定数に基づいて解析し求めた最小危険円は、前記図表Jの3、Lの2ないし11のとおりであって、各円弧の下端は丸池にかかっていないか、丸池の浅い部分にしかかかっていない。このことからいえば、丸池の埋立をしても最小危険円はほとんど変らず破堤の可能性があるということができ、少なくとも丸池を埋めることにより安全率が大幅に改善されるようなものではないということができるのである。そうすると、難透水性層の不連続による浸潤線の上昇については、丸池の埋立は有効な対処の方法とはいえないから、丸池を埋め立てなかったことが管理の瑕疵に該当するとの被控訴人らの主張は採用できない。

2(一)  被控訴人らは、堤体及び丸池に種々の変状が生じており、本件堤防又は丸池内にパイピングが存在し、且つ、パイピングによる堤防の危険性の予測が十分可能であったと主張するが、丸池内のガマの存在については直接にも間接にもこれを認むべき証拠がないことは前記認定説示のとおりであり、航空写真の分析等によっても、主張の変状の存在が認められないこと、また、破堤前においてなされていた平常時及び洪水時の河川の巡視及び定期的な芝刈りの際にも、堤体の法崩れなどの変状が発見されたようなことはなかったことも前記認定説示のとおりである。従って、本件堤防の危険性が事前に認識可能であったとは認められない。

(二)  このように、本件堤防が危険であることを示す変状は事前には認められなかったのであるが、すすんで、本件破堤箇所に、パイピング孔の存在を疑うべき相当な事情があったか否かについて検討する。

丸池が過去の破堤により形成された押堀であると認められることは、前記認定のとおりであり、識者によればパイピングの起きやすい箇所として押堀があげられていることが認められるが、本件における丸池が周辺の地盤と比べて、よりパイピングの起きやすい条件を備えていたとはいえないことは前記認定のとおりであるから、本件においては、丸池が押堀であることとパイピングの予測の可能性を結びつけることは相当ではない。被控訴人らは、丸池がかかる意味で危険箇所であり、適切な対処をすることを陳情してきたというが、これを認めるに足りる証拠はない。

本件破堤箇所付近はガマの多発地帯であり、漏水の危険箇所として水防ランクCとして指定されていた(このことは当事者間に争いがない。)が、<証拠>によれば、本件破堤箇所上流における新幹線工事の際漏水が認められたことから、水防活動上注意する箇所として右のように指定されたにすぎず、パイピングの危険性を認識して行なわれたものではないと認められるのであって、このことからはパイピングによる堤防の弱化の可能性が具体的に予測できていたものということはできない。

また、<証拠>によれば、長良川の下流においてパイピングの発生についての調査研究がなされていたことが認められるが、同箇所はいわゆる海抜零メートル地帯で常時河川水位が堤内側の水位より高い地域についてのものであり、この調査から直ちに本件破堤箇所におけるパイピングの可能性を予測し対策を講ずるべきものであったとも到底いえない。

(三)  前記(二)のような認識状況において、パイピングの存在の可能性まで予測し、これを防止するに足りる河川の改修工事を行なうべきであるとは、前記の河川管理の方法、実態に照らして到底いえないばかりか、前記河川管理の水準及びその制約に鑑みれば、そのような工事を行なわなかったことが河川管理の瑕疵に該当するとも、もとよりいえない。

被控訴人らは、丸池の埋立てについては、財政制約を考慮する必要がないというが、前記認定によれば、丸池が特に危険であるというわけではなく、本件破堤箇所を含む長良川右岸の中流部全体についてかかる工事をなすべきか否かの問題であるから、右主張は理由がない。

3  以上のとおりであって、本件破堤の要因であると認められる難透水性層の不連続、パイピングの存在の可能性をもって、河川管理の瑕疵があったということはできない。

第六  結論

以上によれば、被控訴人らの請求は理由がなく、失当である。してみると、原判決中被控訴人らの認容した部分は不当であって、本件控訴は理由がある。よって、原判決中控訴人敗訴の部分を取消した上、被控訴人らの本訴請求を棄却し、本件附帯控訴は理由がないからこれを棄却すべきである。

民訴法一九八条二項の申立ての理由として控訴人の述べる事実は当事者間に争いがないところ、被控訴人らに対して右金員の支払を命じた原判決は本判決によって取消された結果、右仮執行宣言はその効力を失うに至ったので、被控訴人らは控訴人に対して控訴人主張の金員を返還する義務がある。そうすると、控訴人の民訴法一九八条二項の申立ては理由があるからこれを認容すべきである。

よって、民事訴訟法九六条、八九条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老塚和衛 裁判官 高橋爽一郎 裁判官 野田武明)

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